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僕を作ってきた作家達・2
一昨日、屋外で15℃。
一転、昨日は日中でも5℃を下回って、吹雪いたり日が差し込んだり、目まぐるしく変化する空で、
窓の外をときおり見遣りながら、本を読んでいることの多い一日でした。


ここに住まいを移してからほんのつい最近まで、僕の生活に本はなかった。
本どころか活字に触れることすら稀。

もともとが、小学校の図書室にならんでいた『シートン動物記』と『ファーブル昆虫記』を低学年のうちに読破するような本のムシ。
自覚している以上に活字に飢えていただろうと思う。
仕事に使うため隣家から頂いた古新聞を作業の合間合間に逆さから読み入ってしまうこともしばしば。

そんな先日、「そうか、借りればいいのか」と市営の図書館へ。
なんでこんなことに気付かなかったのか、自分でも情けないけれど、
これでやっと渇きを癒せる、と二日に一冊くらいは読んでいる。


高校生の頃から、本はたいてい勘で選んできた。
とはいっても、タイトルや装幀、文体などからなにか引っ掛かってくるものはあるか、という判断。
これが結構アタリを引く。
その時の自分が置かれた状況、考え、興味。そういったものに内容等々ぴたりとくることが不思議と多い。
手にとって開く前から、なんだか惹かれるようなものはまず間違いない。

とにかく、これまで本との出会いには恵まれてきたと思う。


なかでも、とりわけ印象深く、僕に影響を与え続けてくれる作家は“クラフト・エヴィング商會”名義で執筆から装幀などを手掛ける吉田篤弘


とある旅先で、なんとはなしに立ち寄った本屋。
それまで、なぜか他のいくつかの店でも目に付いていた、けして派手ではない表紙の一冊を買って以降、この作家の“ものがたり”の底流に強く共感し、身をゆだねて、
知る限りはすべて読んできた。

こ難しい語句は使わない。
平易な言葉の、その絶妙な組み合わせだけで文章を編み、ものがたり、
そらに浮かぶある匂いとか、音とかにすぅと形を与えてくれる、ような。
それもその輪郭は、太く描かれるようで、まるでぼんやりしている。

単語や明確な説明ではいえない、あるいはいいたくない事柄も彼になら託せる、
みたいな。



  世界はまだ終わらないというのにひとが世界を終わらせたがっている、と思う (『78』より)




この一文を、僕はいつだって握り締めている。
写真を撮っていた時も、映画を作っていた時も、
もちろん器を作っていくこれからも。
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by aji-kyuu | 2009-01-25 19:13 | 読む | Comments(0)
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