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先日からのつづきで、
ある程度の専門性をもつ職にたずさわる者、とりわけ個人単位で活動している者を“〜家”といったりする。
それぞれの業界の構図が傍目から見るとほぼ自壊した今日でも
いまだ権威づいた響きの残るこれらの言葉が僕は嫌いです。(便宜上使わざるを得ない時もあるけれど。)

もっぱらひとつのことに打ち込む。
それは確かに大切な姿勢だとは思いますし
まず、あらゆる意味で合理的。
なんらかひとつのことにおいて専化・特化させることが、市場での武器になることは間違いないでしょう。

けれど、それは同時にひとつのこと以外を諦めることで
もっといえば、ひとつ以外の多くを切り捨て、他へ投げてしまうこと。

市場を、あるいは経済活動を成立成長させるために
もう何十年もかけて個々人が知らず知らず追い込まれてきたこの狭く暗い道を
疑うことすらできず、俯き加減にひたすら歩く。

そんなこと、僕はできないのです。



詩や童話、散文から教育者、農業指導者。
様々な方法で「考えた」人、宮澤賢治は当時のバリ島民の生き方に理想をみていたそうです。
というのもバリの庶民は昼間、田畑を耕す農家であり
夕方、人によっては宗教家となり医師となり
夜ともなると、ことあるごとにガムラン演奏をする芸術家となる。

すべて一人の内に境目なくあって、人々は皆それらの連関の中にいる。

そのあり方を目指し、教職を辞した宮澤賢治は羅須地人協会という拠点を作る。
農家の青年を集め、肥料の調合を教えたり楽団を結成したり、ただ語り合ったり。


そうなんです。
実のところバリでなくとも、賢治がやらなくとも、もとより田舎の村ではそういった生き方がごく当たり前にあったわけで。

どこにでもありふれていたはずのそのスタンスが、生きるにいかに強いか。
現状を省みれば明らかです。


でもって、その中心には田畑山川のある土地に根付いた農があるのだろう、と。
もとよりこの農という業は恐ろしいほど多岐に渡った知識と技術、勘と経験が要るものです。


宮澤賢治はしばしば農業と芸術の結びつきを説いていたそうですが、
それもそのはず。
農業で“作られる”風景、田んぼの組み方や整備された畦なんかは
ときに息を呑むくらい美しかったり。

あれらが古くからの日本のお百姓さんたちの無作為に因るとは
僕には到底考えられません。




話、逸れました。


ともあれ今日は蒸し暑く、
とうとう到来、梅雨の日々。


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            赤土+白化粧+長石釉  片口碗   茄子と小松菜の揚げびたし
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by aji-kyuu | 2009-06-21 22:49 | 考える | Comments(0)
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