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僕を作ってきた作家たち・11  あるいは茶室と車室
b0156116_21424090.jpg茄子やらピーマンやら、じゃが芋やら

ここのところの課題。
季節ものの頂き物を、どう工夫して料理するか。

有り難いことなので、悪くせずに食べきりたい。
とはいえ同じものが続くのもきつい。

で、我が家にはフォークもないのに
パスタ。
最近は庭にハーブがあるので(どれが何かは分からなくなったけども)、プラスαできています。




赤土+白化粧+長石釉  鉢



唐突ですが、

ここしばらく、「おもてなし」ということをよく考えている。

今月、珍しくお客さんの訪問がたて続いて、
自分以外のためにコーヒーを入れたり、お酒のアテを作ってみたり
お昼を用意したり‥

せっかく縁あっていらしてくれるのだから、心地よくすごして欲しいし
気分よく帰ってもらいたい。

と思えど、過ぎた窮屈さもいただけない。


そんな折、そういった「もてなし」をキイワードにしたプロジェクトに関わることになって
一層思考は飛躍していくのです。


つきなみだけど、
一期一会
直心のまじわり



話が逸れるようですが
茶聖、千利休を思います。


史上の人なので、彼に直接的な影響を受けたわけではもちろんないけども、
ある時期、文献を読みあさっていく中で僕のうちにできた“利休”は
間違いなく僕を作る上での重要人物。

アンディー・ウォーホールや村上隆を作家と言ってしまうなら
千利休もまぎれもない大作家。


そんな利休が目指した「もてなし」の空間としての茶室を思う時、
僕はいつも自動車内の空間を繋げます。


茶の湯というセレモニーを媒介に、あらゆる社会的立場をほぼフラットに均された人と人が
ぎりぎりの距離感の中で時間を共する。

リラックスと緊張のはざまで、亭主と客あるいは客同士おそらく会話は弾んだことだろうと思う。




この、ちょっと引いてみれば奇妙な状況、車に誰かと同乗する時に似ていませんか?


目的地に向かう移動手段のはずが、ときにメインになっていたりもするドライブ。

運転席と助手席は、狭い空間の中で異常に近いのにもかかわらず
互いが向かう先を見ているためか、視界がほぼ全面窓ガラスであるためか
不思議なリラックス感もあり、
いつもよりなんだかしゃべれてしまうもの。

そんな経験、誰でもあるはず。


思い起こせば、

それまで二人きりで話すことはもちろん
顔を突き合わせてまともにしゃべることなんかなかった人を、
あまり考えもせず車での移動に付き合わせてしまったある時
当日になって、いやに緊張したものの、
一時間以上だったか、さして意識せずとも会話していた。
(内容は覚えていないし、話が弾んでいたかはともかくも。)

その時、僕の脳裏に利休の二畳半茶室が浮かんだものでした。



アッバス・キアロスタミの映画『10話』も
思えば車のそういう機能を存分に利用した作でした。

ああして、利休もコミュニケーションを図っていたのかな。





にしても、おもてなしって難しいですよね。
単なるサービスじゃあなくて。

こちらが亭主である場合なおのこと。
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by aji-kyuu | 2009-07-30 23:10 | 考える | Comments(0)
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