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曲がりくねった道の先
岐阜も梅雨明け「したとみられる」。

昨日今日と、痛いくらいの日差し。
こうして夜になっても、冷めつつある空気の下からむっと草が匂いたちます。

これでやっと庭の成長も緩やかになるかな。





さてさて、
しばらく前の友人との会話の中、空想した「新しい農業」。
その後調べていたら、夢想どころかその時描いていたままの形の農業(?)が90年代初頭から研究されていて、
いまや農水省・経産省のバックアップの中、メディア露出も度々されているという。
驚きの実態。



いわゆる“植物工場”

=食用農産物を土地特性や季節・天候に左右されない制御された環境の中で生産する施設。

よく知られたところで言えば、モヤシ栽培のイメージ。
現状、葉もの野菜メインで本格化しているとのこと。


で、実はこの研究による製品がもうすでに販路確保に乗り出すくらいにまで現実化してきているようなのです。
一般販売にはもう少し時間を要するようですが、
外食チェーンを中心にその生産効率、「無農薬で安心」「洗う手間がいらない」「安定しておいしい」といったメリットを高く評価していて、
工場建設・稼働を進めている、云々‥



そういう野菜を口にする日も目と鼻の先、という事実。


信じ難い。


食料自給率が叫ばれて、食料危機が迫る中
この答えは、果たして的を得ているのでしょうか。

日本には放棄された農地がそれこそ五万とあり、
農家の高齢化なんて周知のこと。

そんな中でここ数年、二次産業界の大不振も手伝ってか
若い就農希望者が増加傾向。
雑誌やネット上でも広く就農案内がされ、現場と希望者の橋渡しが活発化してきた今、
すべきはそんなことなのでしょうか。


まず、
時代を読み違えている。
公費を注ぎ込む先は企業論理一辺倒のイノベーションにあらず。



それから、とある農民作家の言葉ですが
農家は野菜や米だけを作っているのではなく、風景を作っているのだ
と。

やや誇張もあるけれど、
そこに尽きると思うのです。

というのも、ほとんどそのスタイルが原始世界と変わらない農業は
僕ら生物としての人間と、その僕らが“借りものの中で生きている”という現実を
食を通して唯一結び付け続けてくれている最重要パートだと思うのです。

自分の生の根幹をあちら側に握られるのはもってのほか。
僕はみすみす許すような気にはなれません。


「このお野菜はね、人間様が作ったんだよ」
そんなこと自分の子供に言いたくありません。

「土さんと水さんとお日さんと、虫さんたちが育ててくれたんだよ」

畑をやっているとそのことが嫌というほど分かります。
人間のできることはたかが知れている。



非合理であろうとなんであろうと
触れてはいけないところ、
這ってでも譲ってはいけないことってあると思うのです。





この件にはもうずっと以前から怒りに似た思いがつのっていて
こういったかたちではとてもじゃないけど言い尽くせません。

でも言わずにはいられない。
そこで、ほんの少し。




そうこうしているうちに、
ニュースでは生物農薬としての「飛ばないテントウムシ」が開発されたという。
「遺伝子をいじったわけではないので、生態系には影響しない。」
本気で言っているのですか。




人間って、恐ろしい。
でも、
こんなんじゃないはずなんです。
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by aji-kyuu | 2009-08-04 23:03 | 考える | Comments(0)
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