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文脈と文字記号
もう目前に近付いてきたので、考えずにはいられない話。

知らぬ存ぜぬを決め込むほど利口ではないので。

衆議院選挙。


というよりその前提に関して。


以前からどうも引っ掛かって、あらゆる地方選挙がここ数年盛り上がりを見せてきていてもなお納得いかないことがある。

いつ頃からか、気付けば選挙というものはマニフェストありきのマニフェスト選挙となっている現状。

旧来の“公約”ではなくて、より具体的な政策や数値目標、期限期日を明確に示したものをそう呼ぶそうですが
僕はこれを前面に(もはや全面に?)出すような選挙活動にずっとずっと割り切れなさを感じていました。


政策というものは性質上、その時その場に応じていかようにも変化するもので
それが具体的であればあるほど最善の方策は日々刻々と対応されていくべきものだと思っています。

ゆえに、選挙という行政の前段階において持ち出され、なおかつそれを比べ合わせて選択を迫るなんていうことは、すべきではないし、もとよりまともにできるはずがないと思うのです。


消費税増は誰にとっても望ましくはないし
各種給付の増額はありがたいに決まっている。

どの分野においてでも規制緩和は耳障りよいし
なんであれ既存体制の改革は必要と感ずる。


でも本当に重要なのは、「どんな具体策を講ずるか」よりも
「なぜ、その政策を摂るのか」だと思えてなりません。
政権選択選挙と謳うならなおのこと。



低燃費車で大挙して遠出しても、それはなんだか滑稽なだけ。

いつだってどこだって、政策は点で機能するものでなくて
所々様々な政策と絡み合い
かつ持続的に機能してゆくわけで

だから、ある特異的な点における上っ面の比較、選挙期間中のマニフェスト検討なんて
まるで意味がない。

「バラマキ!」だの「財源は?」だの
隅を隅を、の些末な突つきあいも場違いにしか見えません。



最近はネット上で各党のマニフェスト比較などが盛んですが
そうして見てみても、残念ながら「なぜ?」まで示せているところはほぼないに等しく
マニフェストに対する具体的な質問疑問はいくらでも湧いてくる。
これじゃ比べるどころか本質の理解すらできない。

党によってはハナから政策を示さずに理念に終止しているところもある始末。

いや、むしろそういう理念や姿勢こそまずもって明らかにすべきで
それを材料に僕ら有権者が判断し、後の政府としての具体策を見守る
この流れ、組み上げ方が本来、道理じゃないのか、
とも。



こうなる事情は分からなくもない。

抽象論は多くを惹き付けにくい。
判断を下す実感を持たせにくい。

具体具体、と人は急ぐ。


でも、だからといって大地と大空を無視して、見て見ぬ振りをして
花の美しさばかり思い描いて待っては、咲くものも咲かない。


よりミクロに、小さく、ピンポイントを
てな風潮はいまさら抗いようもないのかもしれないけれど、
もっと人は大きな物語を、文脈を大切にしてもいいのだと思う。
抽象を感じ信じ語ればいい。


少なくともこの国には古くからそういったマクロ視によって形作られたアイデンティティがあるはずです。

グローバルの夢想もいいですが、
いい加減、目覚めなければ。
まずは気付いた者が自ずから。






あああ、もうこんな時間。
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by aji-kyuu | 2009-08-23 00:11 | 考える | Comments(0)
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