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育つ、という変化
b0156116_2349196.jpgこの器、口元にヒビが入ったため自分使いしているもの。


コーヒーにお茶に焼酎に
ほとんど毎日ともにしています。



定番の
赤土+白化粧+長石釉  小碗

なのですが
使い込むうちにこうした姿になりました。

“白”は部分的に残るものの全体に茶系のクリーム色といいますか。
釉貫入にも渋が入り、説明し難い状態です。


実は陶器というもの、磁器とは異なりどこのどのような仕事のものでも必ず大なり小なり吸水性があります。
胎土には目に見えない細かな気孔があり、釉薬にもほとんどの場合貫入や気泡があるものです。
そのおかげで、熱いものを直に手に伝えにくく、同時に中身を冷ましにくい。
逆もまたしかり、です。


そしてこの性質があるゆえ、陶器は何百年もの時を越えるのです。


意外に感じられるかもしれませんが、陶器というものが最ももろいのは焼き上がった直後。
お店なりで売られているその時です。

というのも、先述の吸気吸水性がある器は使われる度、否応なくなにかしらの水分なり油分なりをその内に取り込んでしまいます。
洗ってもすっかり拭いきれないそれらは、乾燥し内部に固着。
そして次回使われる時、また水分油分に触れてそれらを吸い込み‥

そうしたことを繰り返していくうち、陶器は胎内の気孔を半固体でぎっちり埋めていくのです。


こういった見えないところでの変化が時に水漏れを止めたり、落としても割れにくくなったり、電子レンジに耐えるようになったり、と器を強くするのです。


この強化を、その表情の変化というかたちで教えてくれる陶器も少なからずあります。
例えばそれが、写真の器。

ヒビの影響か景色の変化は恐ろしく早く使い込まれたかのような佇まいになったのですが、
そのおかげかいまだ口元の欠けすらありません。

もちろん、結構ぞんざいな扱いを受けているにも関わらず。


このような陶磁器の経年変化する様を古い茶人や数寄者達は「育つ」と言って楽しみ、
よく育った器を高く評価し、
懸命に「育てる」などして愛玩しました。

それに大枚をはたくかどうかは別にして、
確かに、自分が使うことで日に日に変化する道具には自ずから愛着がわくものです。

当然、使う頻度、用途によっても違った育ち方をするわけですし、先の予想もつかない。
となれば、それこそ一つの器の中に時間のロマンまでが盛り込まれる。



と、まあこういった性質とそれによる内や外の変化があったからこそ、日本では数えきれない古い雑器が残り、掘り出され「骨董」に化けているともいえるのです。


そんな
素材の持つそれぞれの土地の理にかなった性質は、陶器においてだけでなく
日本の他の分野でもかねてから巧みに活かされ、生活に当たり前の呈で溶け込んでいたはずなのです。

分かりやすいところでいえば、家。
木造家屋の柱、とりわけ古民家と呼ばれる時代のものは
四季があり湿気の多い気候や囲炉裏という様式を逆手に取って、時が経つにつれより丈夫にかつ柔軟に屋根を支える仕組みとなっています。



僕らは生まれ出たときから、ぐるり周辺をプラスティックといういかがわしい素材に囲まれてきました。
そのためか「ものの状態は基本的に一定で、変化したとしたらそれは劣化」という観念を知らず知らず持たされているように思います。
事実プラスティックはすぐ弱るし、金属も瞬く間に錆び落ちる。

それらによる製品が何百年後に伝い残るとは考えにくい。


でも実際に飛鳥時代の木簡は発掘されたし、埴輪も掘り出された。
自然の理にかなったものは、
変化することで残るのです。

僕らヒトも例外じゃない。






話が壮大になり過ぎました。


が、何百年残る云々は置いておいても

僕自身は、理に則った「変化」を受け止め取り込む明確な意図をもって陶器を作っています。

「育つ」ことのない器は作っていません。作れません。

むしろ「育つ」前提で器のあしたをも想像しつつ手に取っていただけるなら、
作り手としてそれ以上の幸せはありません。


大袈裟に聞こえるかもしれませんが

ぜひとも、この先の人生の伴走者ひとつとの幸福な出会いを求めて、
展示会にお店に、クラフトフェアなどにお出掛けください。

日本の本物の道具はきっと、誰かの物語を受け止める余白を残して待っていてくれるはずです。




最後に27日(木)からの展示会の詳細はこちらです。

よろしくお願いします。
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by aji-kyuu | 2009-08-24 23:49 | その他 | Comments(0)
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