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イノベーション
b0156116_21134462.jpg先日、畑のダイズを刈り穫りました。
よくできたのかどうなのか、
分かりませんが、ひとまず数粒のダイズから
たくさんのダイズができたわけです。

今はガレージで干しています。



写真は
すでに弾けて畝に散らばっているものを
一粒残らず逃してなるものか、と拾い集めたもの。


このダイズがのった器
大きく割れてはいますが、実は鎌倉時代の頃の陶器です。
いわゆる山茶碗。
常滑のお宅の玄関先に山積みされていたものを一つお借りしています。

今よりおよそ800年前の陶工が土を練り、轆轤をまわし、窯を焚いて作った生活雑器。

この頃の陶器が、僕は大好きです。


発掘品というのをさっ引いても、
今にも土へ還りそうな、そのたたずまい。
でも確かに長い長い時を経てきたもの。


とある企画で、古い陶器を写すという大それたことに取り組んでいる最近。
頭では分かっていたつもりだけれど、改めて身をもって感じるのは

800年後の僕も同じように作るしかないのだな、ということ。


陶芸に限らず、工芸や純粋美術はその技術工程において
数百年の時を越えてもほぼ変わるところがありません。

動力や素材の流行り廃りは多少あるものの
同じもので同じ作業を繰り返し繰り返し、連綿と続け今に至っています。

そのために、ともすると「後進的」とか「未開」の分野と揶揄されたりもしているのですが
僕個人、だからこそこの分野が肌理に合うのです。





イノベーション、イノベーションと一般名詞化してきたこの言葉。
創造の手段でしかなかった技術革新が、もはや目的化しているのを誰しも分かっていながら
怪物のように暴れまわるそいつに、「資本主義経済の宿命」と身を委ね引き摺られるがまま。

「なにかイノベーションを!」と躍起になる企業を尻目に
その要求スパンはどんどんどんどん短くなってきています。



一方、工芸・美術、とりわけ日本の零細的なそれらはただひたすらに繰り返し。

それもそのはず。
グローバル社会における日本人とイギリス人の間にいくらも違いがないように、
現代の僕らと800年前のご先祖たちの暮らしやその中で考えることなんて、そうも違わないのだから。
ものを食べ働き、寝て起きる。
一人でいれば寂しくて、皆でしゃべれば楽しいもので。

変わったとすれば、もっと大きく幅広い時間の中で
ゆっくりじっくり発酵するようにふつふつと、
それこそ自覚などないくらいに地続きに。



日本の農畜産業も、そういうところが多分にあります。

どうしたって、米は年一度しか作れないし、
ひと株に何百もの実はつかない。
一頭が毎年一頭産めるわけがないし、
子牛から乳は搾れない。

僕らよりずっとずっと長く守り続けている繰り返しの中で生きている動植物へ
こちらの時計を押し付けるなんておこがましいことなのに
「時代に遅れた産業に新風を」なんて多方面からの手が入りつつある現状。





イノベーションはミクロすぎます。
もっとマクロで見なければ。


時間を経ても残るもの。
時間を経てなお変わらないもの。
そういう線的なものに価値を感じるのです。
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by aji-kyuu | 2009-09-23 22:31 | その他 | Comments(0)
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