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2次元平面の良し悪し
b0156116_2151819.jpgここ数年大分お世話になりっぱなしの陶器作家の先輩宅でいただいた
小女子の佃煮。

海側にあるその家の魚料理は、素材も良ければ味付けも僕好み。
行くたびにいろいろいただいてしまう。

佃煮と一緒にもらったふき味噌も絶品。


白土+灰釉   小皿


こういうの好きなんだよなあ。


ちょこっと盛って、お酒なめる。

ありがたい晩酌。





そういえば、時事に疎い僕でも聞き捨てならないニュースが最近上がってきました。

「インターネット上での選挙活動解禁の見通し」だとかで。

以前にyahooトップで「ネットで選挙」署名の広告を目にした際にゾッとして、
以来気になっていた件だけに、来るべき時が来たというか
恐れが現実になろうとしている(それも猛スピードで)ことにショックを受けています。

まだ、選挙活動の一手段としての利用にとどまるようですし
法案自体正式には通ってはいないのでどの程度のものになるかは未知数ですが、
譲るべきでない大事な砦は陥落寸前といったところです。


くしくも、昨年2009年の広告費は最大手電通発表によると、新聞雑誌を抜いてネットがトップに
とのこと。



確かに、ほとんどの場合街宣車や街頭演説は機能不全に陥っているし
紙媒体をまくのも、経費かさむうえにエコブームに背く。

でもやっぱり、ネットとその周囲に漂うの全能感は胡散臭い。


とかいうと、単に毛嫌いしているようにもとられかねないけれど

実体験、実感からして
結局ネット上のあらゆるものは平面的で、それゆえ容易くねじ曲がり歪むと思うのです。

紙媒体の“活字”以上にずっと弱々しい。



例えばここまでの幾行か、
抽象的な表現をしているために受け手の始めの読む姿勢によって
否定的にも肯定的にも、悪意を持ってでも、いかようにも読めてしまいます。


スピーディーに、カジュアルに発言できる。
原理上は遠くも近くも、不特定多数に発信できる。
その反面、だからこそそこでの言葉は平たく浅く、弱くならざるを得ません。

すると自然、受け手の状態如何によって解釈され、ときに誤解を生む。


それは避けたい。
ちゃんと理解されたい。
もっと深く話し合いたいし
もっと根幹の部分で分かり合いたい。

そう考える人、あるいは団体がネットを情報発信のあくまで一手段として使う場合
画面に並ぶのはひたすらに具体的な記号。
数字やキャッチコピー、そういったもの。

で、人はその分かりやすい平面情報に飛びついて、
後々知る、そのうしろの深み。



今の政治報道のあらゆる場面で「国民の期待を裏切る」といった文脈で語られている具体的な文句や数字って、その時その場でのみ有効だったもののはずで
今の“最適”はそうでなくなっているだけであって、
本当に見据えるべきは、当時と今との間に筋が通っているのかということと
ブレがあるとするならそのブレは刻一刻と変化する社会情勢におけるブレの反映なのかどうか、といったことなど。

要は、考え方とか思想といった大きな流れから読み取り、判断することが大切なのであって
枝葉末節に目くじら立てるものじゃない。

のだけれど‥


今以上にワンフレーズや具体的数字で争われる選挙って、どうなんでしょう。

僕にはどう目を凝らしても怪しい雲行きしか見えてきません。



お隣愛知県名古屋市では新たに市長となった方がそれこそ体を張って
街宣やら懇談で支持を広げようと奮闘しているようです。

彼はメディア使いにも天賦の才があるようですが、
何より、体を張ってこそ伝えられる人柄が高支持率のゆえんだそうです。




発する方も受け取る方も、面と向かって。

選挙だけに限った話では、無論ありません。
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by aji-kyuu | 2010-04-23 23:16 | 考える | Comments(0)
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