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マッス
マッス_b0156116_2149397.jpg瓶詰めの水煮トマトをいただいていた。


先月の窯で上がった緑灰釉。

「こいつにはトマトだなあ」とずっと思っていた。




そんなわけで。



緑灰釉  7寸皿




最近ラジオがつまらない。
4月の番組改編以来、ちょっとシフトチェンジした感じ。
たぶんそれはどの局も同じだけれど。


ただ、日曜の夜にちょっとだけ楽しみにしているショートプログラムがある。

ドーピング・パンダというバンドのフロントマン、フルカワユタカがFM深夜枠でやっているコーナーで
東海圏のアマチュアバンドが送ってきた音源を俎上にのせて、叱咤激励するというもの。


この彼の言葉が、いちいち響く。

二十歳そこそこの「ロック」が彼の音楽論をもって正面から叩かれる。


「音楽ってのは、ドがあってミがあるんだよ ハーモニーなんだよ」


要するにメロディや歌詞なんてあくまで一要素で、それらが統合された塊が楽曲、とか。



ドーピング・パンダの音楽なんてまともに聴いたことなかったけれど、
言葉は心から本気で投げている。

ラジオなのに。




翻って、やきもの。

ずっと僕は“厚み”にこだわってきた。
造りの薄い分厚い、でなくてもっとトータルでの厚み。あるいは深み。

表面の色とかテクスチャーとか、正直それほど興味ない。

もっとそのものとしての凝縮された物質感。

質感や量感ともどもひっくるめた、美術用語でいうところの“マッス”。

できてくるものはどうであれ、
そのマッスばかり僕は常に見ている。(正確には触っている?視触覚とある美術評論家はいいました。)



フルカワユタカの言っていることも、多分そういうこと。

「音楽のことあまり知らないから—」
とかなんとかいって言葉を濁すのは好きでないのであえて言いますが、
音楽であれやきものであれ、なんであれことごとくスライス生産されていくのは見るに堪えません。
ぺりっと剥がれればすぐ代わりをその上から貼る始末。
遠くからなら塊に見えても、仮に一層一層剥がしていけばまるでタマネギのよう。
最後にはなんにも残らない。芯すらも。



その気風に抵抗すべく、僕は土を叩くところから器作りをしています。
抵抗なんておこがましいくらいに小さな行為だから、時にあまのじゃくとも揶揄されつつ。

原土というあの塊。
それを一度ほどいて、再統合していこうとする作業。
それが僕のやきもの作り。

ひいてはひとの生活そのもの。






確かに、ドーピング・パンダ
バンド名はともかくも
聴いてみたら、良かったです。
by aji-kyuu | 2010-06-23 22:48 | 考える | Comments(0)
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