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コンテクストはテクストを超越したか
僕らのコンテクスト 安達健 白石陽一 陶器展 先日無事終了しました。


いつにも増して、期待を胸にお越しいただきました皆様、
ありがとうございました。

けして多くはないけれど、皆が皆丁寧に物を観、場を感じてくださったこと
あるいは何かを持ち帰ろうと感覚を澄ましてくださったことは
会場に居てひしひしと伝わり、
その目の動き、一足の向き、身振りしぐさ、
僕もいつにも増して眼で追って、
こぼしてくださる一言に耳をそばだてました。


haseという池に一石を投じて、水面に広がる波紋が色々な形にはね返ってくる。
それがまた返り、返し。
その楽しみの場としての展示会の役割を、あらためて思い知る機会となりました。



テクストは常にコンテクストによって裏打ちがされていて
というかそれはそもそも一体で、
テクストをどう解釈するかとは別の問題として、在るわけで
「物語を付ける」とか「付加価値」とかあらたまって言うまでもなく、はじめから内在している。


一方、ハイコンテクスト社会と云われる日本はすでにほつれつつある。

なんだか通じない、伝わっている気がしない。
前提としてあるはずのコンテクストの共有が為されていない、ないがしろにされているということが
本展企画の後ろを支えた個人的な危機感でした。

その瞬間目の前にある実際を重んじることによって、
相対的には軽んじられ、それどころか引き剥がされるきらいすらあったコンテクスト。
「おもい」とか「うるさい」とか。
都合良く表面だけさらわれて使い捨てられていくテクストたち。

そんな残骸で周囲を埋めつくしてみても、豊かとは到底言いがたいわけで。



今回僕の作品に新作が少なかったのは、
あえてそのいつものテクストにあらためてコンテクストを添えて提示し直したかったから。
作家本人にしたら、それこそがごく当たり前の姿で、いつもと同じ意識でもってのぞんでいるつもりですらあるのですが、
いらしてくださった方々にはちょっと違って見えたかもしれません。
展示会の醍醐味はそこにこそあるように思います。

ともかくもある意味これまで以上に自分をさらした展示会となりました。
それゆえ相応の得るものがありましたし、先々が拓けた気もします。


自分は今どうしたいのか。
ひとは今何を求めているのか。
僕らには今何が必要なのか。


僕らのしごとが、なおのこと楽しみになってきました。



今展にお越しくださいました皆様、有り難うございました。
今後にもどうぞご期待くださいませ。
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by aji-kyuu | 2015-03-04 23:01 | 考える | Comments(0)
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