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物から物語へ
選挙がありましたね。

やっぱり依然として我が家にはなんの資料もなく困ったのですが、
ちゃんと行きました。
雨の中、長靴で。

結果はおおよそラジオから流れてきています。




この選挙行動、あるいは投票というもの
民主主義の原理原則なんだけれど、最近ちょっと不信感。
選挙する方にも選挙される方にも。

皆あまりにも短絡的すぎやしないか?

カネの問題とか、増税とか、言ったとか言わないとか。

そんな些末なこと‥


国債がこれだけ刷られているということは、先の世代にその分の納税が確約されているということ。

政権をぐらつかせるということは、それだけ不毛な政争に時間と労力を割かせるということ。

その場その場の近目で動いては成るものも成らない、と思う。



「市場経済や民主主義の投票制度のもとでは、投票権のある現世代の意向だけが尊重されることになるため、現世代が刹那的であればあるほど、長期的な観点からの決定がなされないということになる。」(中谷巌著)



過去や未来を思わずに、今日と明日、私と私の周り数人を凝視するあまりの刹那的(ある意味ではしがらみから自由な)選択はもうやめたい。


そこにその瞬間在る「物」という実体は確かに大事だけれど、
その物が負う過去、その物が辿るであろう未来
そういうものひっくるめて認めたい。考えたい。

「物」はそのまま「人」にも替わる。



自分のことは嫌いじゃない。
けれど正直自分がどうなろうと構わないかな、とも思う。
どうなってもそれはそれで良しとできるだろうし、そもそも僕一人良かろうとしかたない。

たまに、なんでこんなことしているんだ自分
と思いはすれどやめるには到らない。

僕を突き動かしているのはたぶんそういった多様で果てしない物語、物語、物語。
だからやめない。




選挙のたびに思うのは、
この一票が明日を劇的に変えることはないということ。
それでも、これまでが積み上がった、これからへ繋がり得る一票だということ。


何事も長い目で読み込んでいかなければ。




b0156116_20324029.jpg頂き物のトマトの水煮とうちの畑のピーマンで

奈良の山奥の土からなる器に盛って




ここにも、物語。



灰〆  九寸皿
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by aji-kyuu | 2010-07-12 21:33 | 考える | Comments(3)
マッス
b0156116_2149397.jpg瓶詰めの水煮トマトをいただいていた。


先月の窯で上がった緑灰釉。

「こいつにはトマトだなあ」とずっと思っていた。




そんなわけで。



緑灰釉  7寸皿




最近ラジオがつまらない。
4月の番組改編以来、ちょっとシフトチェンジした感じ。
たぶんそれはどの局も同じだけれど。


ただ、日曜の夜にちょっとだけ楽しみにしているショートプログラムがある。

ドーピング・パンダというバンドのフロントマン、フルカワユタカがFM深夜枠でやっているコーナーで
東海圏のアマチュアバンドが送ってきた音源を俎上にのせて、叱咤激励するというもの。


この彼の言葉が、いちいち響く。

二十歳そこそこの「ロック」が彼の音楽論をもって正面から叩かれる。


「音楽ってのは、ドがあってミがあるんだよ ハーモニーなんだよ」


要するにメロディや歌詞なんてあくまで一要素で、それらが統合された塊が楽曲、とか。



ドーピング・パンダの音楽なんてまともに聴いたことなかったけれど、
言葉は心から本気で投げている。

ラジオなのに。




翻って、やきもの。

ずっと僕は“厚み”にこだわってきた。
造りの薄い分厚い、でなくてもっとトータルでの厚み。あるいは深み。

表面の色とかテクスチャーとか、正直それほど興味ない。

もっとそのものとしての凝縮された物質感。

質感や量感ともどもひっくるめた、美術用語でいうところの“マッス”。

できてくるものはどうであれ、
そのマッスばかり僕は常に見ている。(正確には触っている?視触覚とある美術評論家はいいました。)



フルカワユタカの言っていることも、多分そういうこと。

「音楽のことあまり知らないから—」
とかなんとかいって言葉を濁すのは好きでないのであえて言いますが、
音楽であれやきものであれ、なんであれことごとくスライス生産されていくのは見るに堪えません。
ぺりっと剥がれればすぐ代わりをその上から貼る始末。
遠くからなら塊に見えても、仮に一層一層剥がしていけばまるでタマネギのよう。
最後にはなんにも残らない。芯すらも。



その気風に抵抗すべく、僕は土を叩くところから器作りをしています。
抵抗なんておこがましいくらいに小さな行為だから、時にあまのじゃくとも揶揄されつつ。

原土というあの塊。
それを一度ほどいて、再統合していこうとする作業。
それが僕のやきもの作り。

ひいてはひとの生活そのもの。






確かに、ドーピング・パンダ
バンド名はともかくも
聴いてみたら、良かったです。
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by aji-kyuu | 2010-06-23 22:48 | 考える | Comments(0)
合間はいつも埋まっている
「ひと段落」
なんて、言うんじゃなかった。


段落どころか、句読点すら判別できないままに
今週すでに追い込まれています。


昨日今日なんか、梅雨の合間の貴重な晴天
というわけで、
洗濯に布団干し、土作りにろくろ挽き、畑の草刈り、部屋の掃き掃除、、、


あれやってこれやって
あっという間に日が過ぎる。


各方面への不備不足、お許しください。



b0156116_2354551.jpgそれでも、食卓だけは死守します。




しばらく食べていなかったごぼう。
豆腐と牛肉と煮ました。


焼き〆 白   
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by aji-kyuu | 2010-06-17 23:06 | 考える | Comments(0)
ついにひと段落
b0156116_21433566.jpg愛知県瀬戸市のギャラリーくれいが主催して行われた
「湯之根やきもの長屋まつり」が一昨日終了しました。


本当に有り難いことに、またしても好天に恵まれ
予想以上の手応えが得られた「まつり」となりました。




貴重な休日の昼間を捧げてくださったたくさんのお客様、
会場提供等で多大なご協力をしてくださった湯之根やきもの長屋の方々と周辺住民様、
そして、第一回にもかかわらず快く参加してくださった作家の皆様、

本当にありがとうございました。




正直ここまで上手く運ぶとは思っていませんでした。
お陰様々。
すべてにおいて、周辺環境に恵まれたイベントでした。



とりわけ感謝したいのは、出店いただいた同業作家の方々。
こういう社会状況のさなか、自ら動き出すリスクを知りながらも皆前向きに参加いただきました。


これくらいの規模だと、こちら主催側も至らないながら目だけなら出店者皆にゆきとどくもの。
そうなると作家さんそれぞれの人となり、人生の一端が垣間見えるわけでして

人として作家として、とても学びになるとともに
企画者としては、責任という重圧がぐんと増してきます。

幸い、出店くださった方は本当に良い方ばかり。


雰囲気の良い、気持ち良くいられる場となりました。



パーティーなども通じて、今後の行く先がおぼろげながら明るく照らされてきた気がします。


始まったばかりの、大きな流れを意識した活動。
僕らでも一歩一歩地道を進んでいくことで必ず次へ繋げられる、と確信できたイベント企画でした。


湧いてくる意気とアイディアを冷まさぬように、これからも動き続けます。
どうぞご注目ください。




さてこれで僕自身8月までは表立った発表がありません。

とはいえご注文頂いているものがたまっていますし、
HPの更新作業等、すべき仕事は山積み。

一応のひと段落はつけておきますが、手綱を緩められるほど度胸はないもので
今日からやっぱり土作り。


気を抜くな。

と。
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by aji-kyuu | 2010-06-08 22:27 | 考える | Comments(0)
ツィート


器を作るために、器を作っているのじゃなくて

例えばよりよく生きるためのちょっとした糸口、今僕が全身全霊かけて信じられることを提案する、
その手段としてやきものを選んだ。

だから、僕はある意味で永遠に誰より強い。



傍らの携帯電話をマウスと間違えて二度もクリックした右手に驚きつつ、
明日も一日頑張ります。
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by aji-kyuu | 2010-05-17 00:37 | 考える | Comments(0)
無事戻りました。
昨夜、あれやこれやの用事も済ませ、ほぼ2週間ぶりに帰ってきました。

益子陶器市へお越し頂いた皆様、本当にありがとうございました。
期間中終始天気良く、賑わって、楽しめたのではないでしょうか。
こちら、しっかり小麦色。か、それ以上。


帰りの車で考えていたこと —

年に2回、同じ広場に出店するということは
なかなかに難しい。

毎度、お客さんや同業者の方々の反応含めいろいろなものを持ち帰ります。
有り難い有り難い。

けれど、半年は爪の先ほどに短く
形になろうかというその前に流れ出てしまう。
新たなものが積もる。



ともあれ、僕にとっては貴重な機会。
胸のグラブに投げ返す気概で、また半年頑張るまでです。


おかげさまで、今後の予定はみっちり。
みるみる茂る庭の草木を横目に、まずは土作り。
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by aji-kyuu | 2010-05-08 20:56 | 考える | Comments(4)
2次元平面の良し悪し
b0156116_2151819.jpgここ数年大分お世話になりっぱなしの陶器作家の先輩宅でいただいた
小女子の佃煮。

海側にあるその家の魚料理は、素材も良ければ味付けも僕好み。
行くたびにいろいろいただいてしまう。

佃煮と一緒にもらったふき味噌も絶品。


白土+灰釉   小皿


こういうの好きなんだよなあ。


ちょこっと盛って、お酒なめる。

ありがたい晩酌。





そういえば、時事に疎い僕でも聞き捨てならないニュースが最近上がってきました。

「インターネット上での選挙活動解禁の見通し」だとかで。

以前にyahooトップで「ネットで選挙」署名の広告を目にした際にゾッとして、
以来気になっていた件だけに、来るべき時が来たというか
恐れが現実になろうとしている(それも猛スピードで)ことにショックを受けています。

まだ、選挙活動の一手段としての利用にとどまるようですし
法案自体正式には通ってはいないのでどの程度のものになるかは未知数ですが、
譲るべきでない大事な砦は陥落寸前といったところです。


くしくも、昨年2009年の広告費は最大手電通発表によると、新聞雑誌を抜いてネットがトップに
とのこと。



確かに、ほとんどの場合街宣車や街頭演説は機能不全に陥っているし
紙媒体をまくのも、経費かさむうえにエコブームに背く。

でもやっぱり、ネットとその周囲に漂うの全能感は胡散臭い。


とかいうと、単に毛嫌いしているようにもとられかねないけれど

実体験、実感からして
結局ネット上のあらゆるものは平面的で、それゆえ容易くねじ曲がり歪むと思うのです。

紙媒体の“活字”以上にずっと弱々しい。



例えばここまでの幾行か、
抽象的な表現をしているために受け手の始めの読む姿勢によって
否定的にも肯定的にも、悪意を持ってでも、いかようにも読めてしまいます。


スピーディーに、カジュアルに発言できる。
原理上は遠くも近くも、不特定多数に発信できる。
その反面、だからこそそこでの言葉は平たく浅く、弱くならざるを得ません。

すると自然、受け手の状態如何によって解釈され、ときに誤解を生む。


それは避けたい。
ちゃんと理解されたい。
もっと深く話し合いたいし
もっと根幹の部分で分かり合いたい。

そう考える人、あるいは団体がネットを情報発信のあくまで一手段として使う場合
画面に並ぶのはひたすらに具体的な記号。
数字やキャッチコピー、そういったもの。

で、人はその分かりやすい平面情報に飛びついて、
後々知る、そのうしろの深み。



今の政治報道のあらゆる場面で「国民の期待を裏切る」といった文脈で語られている具体的な文句や数字って、その時その場でのみ有効だったもののはずで
今の“最適”はそうでなくなっているだけであって、
本当に見据えるべきは、当時と今との間に筋が通っているのかということと
ブレがあるとするならそのブレは刻一刻と変化する社会情勢におけるブレの反映なのかどうか、といったことなど。

要は、考え方とか思想といった大きな流れから読み取り、判断することが大切なのであって
枝葉末節に目くじら立てるものじゃない。

のだけれど‥


今以上にワンフレーズや具体的数字で争われる選挙って、どうなんでしょう。

僕にはどう目を凝らしても怪しい雲行きしか見えてきません。



お隣愛知県名古屋市では新たに市長となった方がそれこそ体を張って
街宣やら懇談で支持を広げようと奮闘しているようです。

彼はメディア使いにも天賦の才があるようですが、
何より、体を張ってこそ伝えられる人柄が高支持率のゆえんだそうです。




発する方も受け取る方も、面と向かって。

選挙だけに限った話では、無論ありません。
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by aji-kyuu | 2010-04-23 23:16 | 考える | Comments(0)
ようやくの帰宅
本日昼、東京→埼玉→益子→福島の旅から帰ってきました。

車で延々の運転はさすがに堪えます。

が、詰め込み詰め込んだ用事いろいろをなんとかこなして戻って来れました。


我ながら、
「こなす」なんてなんだか嫌な表現しているけれど、
いつもいつも限りある滞在時間に追われて、用の一つ一つに丁寧な対応ができないのは
内心とても苦しい。

お会いした一人一人とじっくり語り合いたいし、
その時その場の空気をゆっくり味わいたい。

心底そう思いつつも
かといって、会いたい人行きたい所やりたい事は数知れず。
毎度目一杯にしてしまう。



ともかくも今回の遠出仕事も多くの収穫がありました。
事細かにここへ書くことはしませんが、

「分かっちゃいるけれど、あえてやらない」てのは本当に「分かっている」とはいえないのじゃないかと。
ならばこそやれ、あるいはやらないなら分からないと胸を張れ。



この後もしばらくは諸々を整理消化する暇など作れそうにありませんが、
とにかくも忘れずにストック。
溜まり積み重なっていく実感が、今あります。
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by aji-kyuu | 2010-03-24 21:39 | 考える | Comments(0)
誰がため
b0156116_3334213.jpg白土+灰釉  板



お茶うけに、ちょこっとお菓子をお出しする。






何事も結局のところ、相手あってのこと。
誰かのための今日明日。


ときにその間は、一枚も二枚も壁で隔てられていて
見えづらくはなっているけれど。


ものことの向こう側に居る誰かへ宛てて。


そんなことを再確認。
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by aji-kyuu | 2010-02-24 03:54 | 考える | Comments(0)
期は熟した
昨日、高校以来の仲でことあるごとに語り合える数少ない友人と
半年に一回くらいのペースでほとんど定例となった意見交換の会。

といっても、コーヒーショップで何時間もひたすら喋るだけなのだけれど。
大事な時間。



今回の対話の中で話題に上った事柄の一つが、小沢健二コンサートツアー。

最近僕らが注目している彼が十数年ぶりにミュージシャンとして全国を回るようで。

とはいえ別段彼の音楽がお気に入りというわけでもなく、
90年代当時のオザケンソングに思い出がよみがえる、といったわけでもない。

ただ、彼の言動に共鳴する部分が少なくなくて
ややナナメヨミな視点は気になるものの、そういった発言者としての小沢健二からは
目を離せないな、と思うのです。


以前ここでも書いたように記憶しているのだけれど
彼はミュージシャンとしての沈黙の間、世界各地で「社会」についてを考え続けていたそうで
とある季刊誌で寓話的な読み物を連載していたり、その別冊として『企業的な社会・セラピー的な社会』をまとめたり。(小さな出版社から刊行されているようですが、僕は先の友人からコピーの束にて手にしました。)

根幹にあるのは「アメリカン・グローバリズム」への抵抗。


今回のツアー『ひふみよ』の特設サイト上でも「読み物」と題して
現在の社会のあれこれについて、ちゃっかり、けれどしっかり語っています。


論客とか言われるような類いではない彼ですが
自分の立場を自覚した、彼なりの語り口が業界において貴重なことはその文章を読んでもらえれば分かると思います。


さて、どんなツアーになるんでしょうね。




b0156116_2182712.jpgまったく関連性はないけれど

先日の窯で上がった、試作品。

白土+緑灰釉  鉢
に、根菜いろいろ片付け半分で煮たもの。


写真では分かりにくいですが、マットな渋めの緑に焦げの茶が効いています。

今後展開してゆけるかな。
ご期待下さい。




そうそう
二週間ほど前、長く放置していた髭を数年ぶりにすっきりさっぱり。
ついでに枕の向きも180度かえてみました。


もういい加減熟したと思うのです。
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by aji-kyuu | 2010-02-06 22:12 | 考える | Comments(2)