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御礼と、旅からの帰宅報告
ご無沙汰しておりました。

昨晩
常滑(「アテビト‥」関連)〜東京(横浜滞在)〜益子(陶器市出店)〜山形(作家を訪ねて)
距離にしても時間にしても、長い旅から帰ってきました。

益子では寒波に見舞われ、山形への道中には残雪も。

そして久々の我が家。
近隣ではすっかり色付いた柿の木がたわわに下がり、
庭の草木も茶色く縮こまってきたようです。
晩秋ですか。



b0156116_18561963.jpgさて、大変遅くなってしまいまして恐縮ですが
愛知県常滑市での「アテ ビト カ テビタ」へお越し頂いた皆様
ありがとうございました。

けして便利とはいえない立地にも関わらず、
多くの方々に足をお運び頂き、ただただ感謝です。


そんななか
暮布土ギャラリーの感じの良い空間で
それなりに見応えあるものが観せられたかと思っております。


僕個人にとってはまだまだ未熟さを痛感するものとなりましたが
この経験を糧に、
来年常滑市でまた面白い展示会を、と企画しています。

そちらもまた、ご期待下さい。




それから
益子陶器市へお越し頂いた皆様、
こちらも本当にありがとうございました。

ちょうどぐぐっと空気の冷え込んだ週でしたが
関東一円から、電車やお車などで貴重なお時間を割き来場いただきました。

いいモノと出逢えましたでしょうか?


僕はといえば
テントのもと、見知る方々、お世話になっている方々との再会あり
また新たな出会いもあり。

交わした多くの言葉を反芻しながら
今後の生活、制作の励みにしていこうと思っております。






この二週間ほどの旅を通じて考えるのは

曲がりなりにも「作家」として「お仕事」をさせてもらってはいるものの
僕も当然に、一にも二にも“いち人間”だということです。

作り手と買い手、あるいは作り手と取り引き先、
作り手どうし
形は様々あれど
要は人対人の関係。

嬉しいことは嬉しいし、楽しいことはやっぱり楽しい。

そういう関係の中で、
まず
生きていられている、ということを噛み締めます。


普段毎日のように一人過ごしている僕が
短い期間にありとあらゆる立場の人々と関係して
今、また一人にたち返ると

なにはともあれ
有り難い
有り難い


“いち人間”として有り難く思うのです。





本当に皆様、ありがとうございました。

僕はまだまだまだまだ生きられます。
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by aji-kyuu | 2009-11-07 19:38 | その他 | Comments(2)
余生
そういえば先日、無事に一つ歳を重ねることができました。

一年間、いろいろありました。

大なり小なり僕に関わって下さった方すべてのおかげで
またこの一年も、「これまでで一番充実していたな」
と思えるものとなりました。
幸せ者です。


ただ、満足に腹一杯とはいかないものです。
もっともっと長く遠い先を見据えて、一日一日を積み重ねていかねばと胸に。




名前は忘れましたが、とある動物生態学者が
平均身長と体重をもとに“生物学的”寿命を割り出したところ
僕ら日本人のそれは26.3歳。

実際の平均寿命80歳超。
人間の寿命がこれだけ延びているのはひとえに外環境のおかげ、と。

ひとつは子供の死亡率を抑えられたこと。
もうひとつは近現代に入って、老人医療の発達がこの長寿をもたらした。



さて、これをどう捉えるか。


人間の知能をたたえるべきか。
自然に反した歳月を、その身を責めるべきか。

その当の老科学者自身、「それでも私はもっと生きたい」と。
切なる欲望。




気付けば僕も、その生物学的寿命に到達してしまったわけです。

ならば、ここから先は余生かと。

そう思えば、まだまだやれる。
まだまだ続けていられる。



短い生を文字どおり謳歌する
虫たちの音を窓の向こうに聴きながら、
そんなことを考えるこの頃です。
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by aji-kyuu | 2009-09-24 21:28 | その他 | Comments(2)
イノベーション
b0156116_21134462.jpg先日、畑のダイズを刈り穫りました。
よくできたのかどうなのか、
分かりませんが、ひとまず数粒のダイズから
たくさんのダイズができたわけです。

今はガレージで干しています。



写真は
すでに弾けて畝に散らばっているものを
一粒残らず逃してなるものか、と拾い集めたもの。


このダイズがのった器
大きく割れてはいますが、実は鎌倉時代の頃の陶器です。
いわゆる山茶碗。
常滑のお宅の玄関先に山積みされていたものを一つお借りしています。

今よりおよそ800年前の陶工が土を練り、轆轤をまわし、窯を焚いて作った生活雑器。

この頃の陶器が、僕は大好きです。


発掘品というのをさっ引いても、
今にも土へ還りそうな、そのたたずまい。
でも確かに長い長い時を経てきたもの。


とある企画で、古い陶器を写すという大それたことに取り組んでいる最近。
頭では分かっていたつもりだけれど、改めて身をもって感じるのは

800年後の僕も同じように作るしかないのだな、ということ。


陶芸に限らず、工芸や純粋美術はその技術工程において
数百年の時を越えてもほぼ変わるところがありません。

動力や素材の流行り廃りは多少あるものの
同じもので同じ作業を繰り返し繰り返し、連綿と続け今に至っています。

そのために、ともすると「後進的」とか「未開」の分野と揶揄されたりもしているのですが
僕個人、だからこそこの分野が肌理に合うのです。





イノベーション、イノベーションと一般名詞化してきたこの言葉。
創造の手段でしかなかった技術革新が、もはや目的化しているのを誰しも分かっていながら
怪物のように暴れまわるそいつに、「資本主義経済の宿命」と身を委ね引き摺られるがまま。

「なにかイノベーションを!」と躍起になる企業を尻目に
その要求スパンはどんどんどんどん短くなってきています。



一方、工芸・美術、とりわけ日本の零細的なそれらはただひたすらに繰り返し。

それもそのはず。
グローバル社会における日本人とイギリス人の間にいくらも違いがないように、
現代の僕らと800年前のご先祖たちの暮らしやその中で考えることなんて、そうも違わないのだから。
ものを食べ働き、寝て起きる。
一人でいれば寂しくて、皆でしゃべれば楽しいもので。

変わったとすれば、もっと大きく幅広い時間の中で
ゆっくりじっくり発酵するようにふつふつと、
それこそ自覚などないくらいに地続きに。



日本の農畜産業も、そういうところが多分にあります。

どうしたって、米は年一度しか作れないし、
ひと株に何百もの実はつかない。
一頭が毎年一頭産めるわけがないし、
子牛から乳は搾れない。

僕らよりずっとずっと長く守り続けている繰り返しの中で生きている動植物へ
こちらの時計を押し付けるなんておこがましいことなのに
「時代に遅れた産業に新風を」なんて多方面からの手が入りつつある現状。





イノベーションはミクロすぎます。
もっとマクロで見なければ。


時間を経ても残るもの。
時間を経てなお変わらないもの。
そういう線的なものに価値を感じるのです。
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by aji-kyuu | 2009-09-23 22:31 | その他 | Comments(0)
育つ、という変化
b0156116_2349196.jpgこの器、口元にヒビが入ったため自分使いしているもの。


コーヒーにお茶に焼酎に
ほとんど毎日ともにしています。



定番の
赤土+白化粧+長石釉  小碗

なのですが
使い込むうちにこうした姿になりました。

“白”は部分的に残るものの全体に茶系のクリーム色といいますか。
釉貫入にも渋が入り、説明し難い状態です。


実は陶器というもの、磁器とは異なりどこのどのような仕事のものでも必ず大なり小なり吸水性があります。
胎土には目に見えない細かな気孔があり、釉薬にもほとんどの場合貫入や気泡があるものです。
そのおかげで、熱いものを直に手に伝えにくく、同時に中身を冷ましにくい。
逆もまたしかり、です。


そしてこの性質があるゆえ、陶器は何百年もの時を越えるのです。


意外に感じられるかもしれませんが、陶器というものが最ももろいのは焼き上がった直後。
お店なりで売られているその時です。

というのも、先述の吸気吸水性がある器は使われる度、否応なくなにかしらの水分なり油分なりをその内に取り込んでしまいます。
洗ってもすっかり拭いきれないそれらは、乾燥し内部に固着。
そして次回使われる時、また水分油分に触れてそれらを吸い込み‥

そうしたことを繰り返していくうち、陶器は胎内の気孔を半固体でぎっちり埋めていくのです。


こういった見えないところでの変化が時に水漏れを止めたり、落としても割れにくくなったり、電子レンジに耐えるようになったり、と器を強くするのです。


この強化を、その表情の変化というかたちで教えてくれる陶器も少なからずあります。
例えばそれが、写真の器。

ヒビの影響か景色の変化は恐ろしく早く使い込まれたかのような佇まいになったのですが、
そのおかげかいまだ口元の欠けすらありません。

もちろん、結構ぞんざいな扱いを受けているにも関わらず。


このような陶磁器の経年変化する様を古い茶人や数寄者達は「育つ」と言って楽しみ、
よく育った器を高く評価し、
懸命に「育てる」などして愛玩しました。

それに大枚をはたくかどうかは別にして、
確かに、自分が使うことで日に日に変化する道具には自ずから愛着がわくものです。

当然、使う頻度、用途によっても違った育ち方をするわけですし、先の予想もつかない。
となれば、それこそ一つの器の中に時間のロマンまでが盛り込まれる。



と、まあこういった性質とそれによる内や外の変化があったからこそ、日本では数えきれない古い雑器が残り、掘り出され「骨董」に化けているともいえるのです。


そんな
素材の持つそれぞれの土地の理にかなった性質は、陶器においてだけでなく
日本の他の分野でもかねてから巧みに活かされ、生活に当たり前の呈で溶け込んでいたはずなのです。

分かりやすいところでいえば、家。
木造家屋の柱、とりわけ古民家と呼ばれる時代のものは
四季があり湿気の多い気候や囲炉裏という様式を逆手に取って、時が経つにつれより丈夫にかつ柔軟に屋根を支える仕組みとなっています。



僕らは生まれ出たときから、ぐるり周辺をプラスティックといういかがわしい素材に囲まれてきました。
そのためか「ものの状態は基本的に一定で、変化したとしたらそれは劣化」という観念を知らず知らず持たされているように思います。
事実プラスティックはすぐ弱るし、金属も瞬く間に錆び落ちる。

それらによる製品が何百年後に伝い残るとは考えにくい。


でも実際に飛鳥時代の木簡は発掘されたし、埴輪も掘り出された。
自然の理にかなったものは、
変化することで残るのです。

僕らヒトも例外じゃない。






話が壮大になり過ぎました。


が、何百年残る云々は置いておいても

僕自身は、理に則った「変化」を受け止め取り込む明確な意図をもって陶器を作っています。

「育つ」ことのない器は作っていません。作れません。

むしろ「育つ」前提で器のあしたをも想像しつつ手に取っていただけるなら、
作り手としてそれ以上の幸せはありません。


大袈裟に聞こえるかもしれませんが

ぜひとも、この先の人生の伴走者ひとつとの幸福な出会いを求めて、
展示会にお店に、クラフトフェアなどにお出掛けください。

日本の本物の道具はきっと、誰かの物語を受け止める余白を残して待っていてくれるはずです。




最後に27日(木)からの展示会の詳細はこちらです。

よろしくお願いします。
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by aji-kyuu | 2009-08-24 23:49 | その他 | Comments(0)
Smile,please.
b0156116_2152309.jpg数日前、雨雨雨で沈滞する気分を変えてやろうと
ドーナツ揚げてみました。
手軽においしくできるものなんですね。

あっけなくてちょいともの足りなかったけども、
サクッふわに免じて。


ともあれやっぱりこの器には焼き菓子とかも合うよなあ。


白土+灰釉  五寸皿



話は飛んで

今日は午後から諸用でトラックを借りに。


ありふれた町の大手レンタカー屋さん。
そこで接客してくれた制服の店員さん。


それはそれはとてもいい笑顔をしてくれる方で、
営業スマイルと知りつつも
その屈託のなさに思わずつられてこちらも笑顔に。

僕といくらも違わないであろう彼女には
接客以前、たぶん人としてずば抜けたコミュニケーション力を持っているのだろうな。
あの対応、頭でできるものじゃない。

返却時、見送りに出てきてくれた彼女の表情と小気味のいい声は
一日の疲れをひょいと軽くしてくれました。

ごく自然に
「ありがとう」と口をついて出る。




翻って、
そんな僕はちょっと気を緩めると
怒っていたりふて腐れているように見えるらしく、
ガラスに映る自分をふいに見止めて、ぎょっとすることすらあるのです。

せめてたまの人と会う機会くらい、と
気遣ってみたりするのですが、
すると後々、とんでもなく疲れる始末。



今日の素敵な方のように、ただそれだけで誰かをわずかなりとも幸せにできるような
そんな表情(そしてそれはおそらく内から滲み出すものであるわけで)に
僕もいつかなれる日が来るのだろうか。
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by aji-kyuu | 2009-07-23 22:40 | その他 | Comments(0)
湯にすくむ
b0156116_23164668.jpg
 もう
 一日、さした運動していなくても
 夕方にはべたべたべたべた。            

 お風呂に入らずにはいられないこのところ。





 
 そんな僕は小さな頃からお風呂好き。

 湯に浸かること。

 旅行先の温泉ともなれば、夕食前夕食後、早朝。
 何度も、時間かけて。



高校2年生の学校祭でのクラステーマ。
一人、“温泉”という提案をして
いろんな角度から魅力を語りつくし
口車で粘りに粘り、最終候補まで残した記憶も。

東京の片田舎に下宿していた頃は、ユニットバスではもの足りず
月に一度は近所の銭湯に通いました。




お風呂って本当に素晴らしい、誇るべき文化だと思うのです。




と、いいつつ
実は我が家はシャワーしか使えません。

古い家なのでちゃんとした飾りタイル張りの風呂場はあり、
浴槽もあるにはあるのですが‥
とある事情でこれを使えず。
新しいバスタブに替えたくとも、壁を抜かないかぎりは入れられそうもない。

そんなわけで泣く泣く毎晩シャワーのみ。


幸いにして、すぐ近くのショッピングモールには銭湯(天然温泉!)があるのだけれど、
これが恐ろしいお値段。
しぶしぶ、年数回に我慢しています。


自分で露天風呂でも作ろうかなあ。
大きな庭石は転がってるから、それ組んで。

あるいは五右衛門?




そんな夢想はおいといて
とりあえず、シャワー浴びてきます。
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by aji-kyuu | 2009-07-20 23:52 | その他 | Comments(0)
作る暮らし
b0156116_21193248.jpg
蛙の輪唱が随分と威勢良くなってきました。

気付けば、周辺の田んぼに水が引かれ始めています。

麦が黄金色を通り越して赤々となびく今時期、その隣では田植えが近付いているようで。


岐阜県のブランド米「ハツシモ」は秋も深まり初霜が降りる頃、ようやく刈り穫るという晩生種。
他から遅れることひと月ほど。
今日寄った農協の直売所脇では苗がぎっしりとスタンバイしていました。






ここしばらく米作りを始めとした農業ルポのような本を読んでいるので、リン酸やら窒素やら、ミニマムアクセスなんだかんだ‥

頭でっかちになって、よろしくない。

それでも
ふと顔を上げると田畑や農家さんの生活が目の前に広がっているこの環境に身を置くと、
なにはともあれ知りたい、という思いが。


知れば知るほど
手でものを作ることってなんであれ同じなんだと再認する。

食物、でさえも。
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by aji-kyuu | 2009-06-08 22:00 | その他 | Comments(0)
b0156116_2127013.jpg
古びに古びた畳を起こして、そのまま長らく物置きとなっていた部屋を
ようやく意を決して整理して、
小さな展示室をしつらえてみました。


自作の器はもちろん
譲ってもらった古いもの、拾いもの
などなど


玄関入って一の間だっただけに、それなりに整ったことにまずひと安心。
これで無礼なく訪問客を迎えられるかな。






この家、おそらく築35年超。
住むにあたってあちらこちらに手を入れてきたのだけれど
こうして古い家をいじると、
日本家屋のそもそもの作りを目の当たりにするものです。

関係寸法の絶妙さとか、工夫の細かさと技の大雑把さ。
何十年、何百年と、それぞれは無名でちっぽけな人々の手がごく自然に積み上げた
ものの見事な歴史。
が詰まった箱。


学生時代のほんの一時好んで読んでいた社寺建築の理論なんかも思い出されて
つくづく、建物も面白いなあ
と。



ひとの生活を掬う器としての建物。

もうちょっと考えてあげればいいのに。
林立する個々色違いのボックスハウス群を眺めながら思ったりもします。
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by aji-kyuu | 2009-05-29 22:06 | その他 | Comments(0)
野良
b0156116_20491219.jpg昨日今日とほぼまるまる野良仕事。

恐ろしく勢いづいていた庭の草木を刈り、掃き、
蒔き時をすでに逃しているだろう畑に種を下ろしてみました。


越してきてすぐ隣家からお借りしたまま一年を
忙しさにかまけ、雑草の好き放題にさせていた畑地。
冬場にそれとなく準備して、ようやく少しばかりの作物を。


長期の不在を避けたら、かなり遅いスタートとなったので
今後どうなるかは分かりませんが、
人ひとりの食卓をわずかなりとも助けてもらえればと。


暑い二日間でしたが
たまにこういう全身運動しておかないと、足腰維持していけないだろうな。
ちょうどよいリハビリ。
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by aji-kyuu | 2009-05-13 21:08 | その他 | Comments(0)
帰りました。
今日、益子〜東京・横浜滞在から無事戻って来ました。
おそらくは全国的に夏の陽気で、車中はさながらサウナ。
日が差すわ、背や脚はベタつくわ眠気誘われるわ
それでも富士山は相変わらず冗談のように壮大で、由比の浜辺には気持ちよく波が寄せて
ときおり吹き込む風は汗を拭ってくれる。

やっぱり運転、嫌いじゃないなあ。


さて、今回春色益子陶器市へお越しいただいた皆様、本当に有り難うございました。

偶然通りがかり、足を止めてくれた方
毎回のように僕のテントを覗いてくださる方
興味津々に質問してくださった方
見ず知らずの僕などに「頑張ってください」と声をかけてくださった方
厳しい意見を聞かせてくれた方
そして、「こういうふうに使っているんですよ」と以前買っていただいたもののその後を話してくださる方

それから、その時の縁で今このブログを覗いてくださっている方
思えば思うほど、有り難いことだと感謝の念が増します。

日頃人と話す機会が極端に少なく、言葉が出てきにくいために人と喋ることそれ自体不得意と言わざるを得ない僕ですが、
こういった機会があるたびに、直接顔を突き合わせてする会話なりコミュニケーションの素晴らしさをつくづく感じます。

あすへの力は間違いなく、そういうことを通してひとからいただいたエールなんだ、と。

妙な言い方かもしれませんが、
皆が皆それぞれの場所でそれぞれの生をおくっているんだ、ということ。
ただそれだけで、明日をちょっとでも積極的に迎えられそうな。


明日
ひとまずはなにより、
ちょっと見ないうちに名も無き生命の繁茂にむせかえっている我が家の庭の手入れをせねば。
大仕事になりそうだな。
麦藁帽子でもかぶろうか。
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by aji-kyuu | 2009-05-11 21:52 | その他 | Comments(4)