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南瓜
b0156116_21312360.jpg口内炎ができました。

そこで、久々にカボチャを炊いてみたわけです。

そしたら、沁みる沁みる。
痛い痛い。

でも美味い。




白土+灰釉  五寸鉢

ちょっと煮にはこのくらいの深みがある器がいい。
大きさも僕には程よく、
最近は同シリーズの皿よりたびたび卓にのぼります。



南瓜=カボチャの語源。

そのまま、Cambodiaカンボジアから来ているとのこと。
アメリカ原産でカンボジア渡来なのに、なんだか日本料理に親しい野菜。



先日、そんなカンボジアの孤児たちにタンスで眠っているTシャツを贈ろう、
というプロジェクトに関わりました。
地元の仲間との活動を母体とした小プロジェクト。


ものつくりとは直接的に繋がりませんが、
今後、その方面での活動を紹介することもあるかと思います。

現在はとある講演会を開催するために日々奔走。
その情報もまた後ほど。



やれることはたくさんある。

そう考えると、居ても立ってもいられませんね。
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by aji-kyuu | 2009-09-28 21:56 | 食べる | Comments(0)
余生
そういえば先日、無事に一つ歳を重ねることができました。

一年間、いろいろありました。

大なり小なり僕に関わって下さった方すべてのおかげで
またこの一年も、「これまでで一番充実していたな」
と思えるものとなりました。
幸せ者です。


ただ、満足に腹一杯とはいかないものです。
もっともっと長く遠い先を見据えて、一日一日を積み重ねていかねばと胸に。




名前は忘れましたが、とある動物生態学者が
平均身長と体重をもとに“生物学的”寿命を割り出したところ
僕ら日本人のそれは26.3歳。

実際の平均寿命80歳超。
人間の寿命がこれだけ延びているのはひとえに外環境のおかげ、と。

ひとつは子供の死亡率を抑えられたこと。
もうひとつは近現代に入って、老人医療の発達がこの長寿をもたらした。



さて、これをどう捉えるか。


人間の知能をたたえるべきか。
自然に反した歳月を、その身を責めるべきか。

その当の老科学者自身、「それでも私はもっと生きたい」と。
切なる欲望。




気付けば僕も、その生物学的寿命に到達してしまったわけです。

ならば、ここから先は余生かと。

そう思えば、まだまだやれる。
まだまだ続けていられる。



短い生を文字どおり謳歌する
虫たちの音を窓の向こうに聴きながら、
そんなことを考えるこの頃です。
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by aji-kyuu | 2009-09-24 21:28 | その他 | Comments(2)
イノベーション
b0156116_21134462.jpg先日、畑のダイズを刈り穫りました。
よくできたのかどうなのか、
分かりませんが、ひとまず数粒のダイズから
たくさんのダイズができたわけです。

今はガレージで干しています。



写真は
すでに弾けて畝に散らばっているものを
一粒残らず逃してなるものか、と拾い集めたもの。


このダイズがのった器
大きく割れてはいますが、実は鎌倉時代の頃の陶器です。
いわゆる山茶碗。
常滑のお宅の玄関先に山積みされていたものを一つお借りしています。

今よりおよそ800年前の陶工が土を練り、轆轤をまわし、窯を焚いて作った生活雑器。

この頃の陶器が、僕は大好きです。


発掘品というのをさっ引いても、
今にも土へ還りそうな、そのたたずまい。
でも確かに長い長い時を経てきたもの。


とある企画で、古い陶器を写すという大それたことに取り組んでいる最近。
頭では分かっていたつもりだけれど、改めて身をもって感じるのは

800年後の僕も同じように作るしかないのだな、ということ。


陶芸に限らず、工芸や純粋美術はその技術工程において
数百年の時を越えてもほぼ変わるところがありません。

動力や素材の流行り廃りは多少あるものの
同じもので同じ作業を繰り返し繰り返し、連綿と続け今に至っています。

そのために、ともすると「後進的」とか「未開」の分野と揶揄されたりもしているのですが
僕個人、だからこそこの分野が肌理に合うのです。





イノベーション、イノベーションと一般名詞化してきたこの言葉。
創造の手段でしかなかった技術革新が、もはや目的化しているのを誰しも分かっていながら
怪物のように暴れまわるそいつに、「資本主義経済の宿命」と身を委ね引き摺られるがまま。

「なにかイノベーションを!」と躍起になる企業を尻目に
その要求スパンはどんどんどんどん短くなってきています。



一方、工芸・美術、とりわけ日本の零細的なそれらはただひたすらに繰り返し。

それもそのはず。
グローバル社会における日本人とイギリス人の間にいくらも違いがないように、
現代の僕らと800年前のご先祖たちの暮らしやその中で考えることなんて、そうも違わないのだから。
ものを食べ働き、寝て起きる。
一人でいれば寂しくて、皆でしゃべれば楽しいもので。

変わったとすれば、もっと大きく幅広い時間の中で
ゆっくりじっくり発酵するようにふつふつと、
それこそ自覚などないくらいに地続きに。



日本の農畜産業も、そういうところが多分にあります。

どうしたって、米は年一度しか作れないし、
ひと株に何百もの実はつかない。
一頭が毎年一頭産めるわけがないし、
子牛から乳は搾れない。

僕らよりずっとずっと長く守り続けている繰り返しの中で生きている動植物へ
こちらの時計を押し付けるなんておこがましいことなのに
「時代に遅れた産業に新風を」なんて多方面からの手が入りつつある現状。





イノベーションはミクロすぎます。
もっとマクロで見なければ。


時間を経ても残るもの。
時間を経てなお変わらないもの。
そういう線的なものに価値を感じるのです。
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by aji-kyuu | 2009-09-23 22:31 | その他 | Comments(0)
数字が隠している
b0156116_21162943.jpgごぼうって好きです。

歯触りと香り。

牛蒡。
どうやら日本人くらいしか食べないそうです。

さきがけしている時も、なんだか木を削っているみたいで心地よい。
そう思いませんか?


白土+灰釉  五寸鉢


さて、ずっと気になっている数字の話。

先の衆議院選挙でも各党叫んでいましたが、
以前からずっと違和感を持って聞いていた「食料自給率」の数字。

数年前まで30%台とかいわれていた日本の自給率。
去年40台に乗っていくぶん見栄え良くなりましたが、
しかしあまりにも低いと感じませんか?


週に一回スーパーへ通う僕としては
否応なく目に付く産地表示からどう見積もってもその数字は導けない。

実感との大きなズレ。


それもそのはず。

よく知られていることですが、「食料自給率」には常に括弧書きがつきます。
「カロリーベース」とか「熱量ベース」とか。
やっかいなのはこの基準。

供給カロリーの総量(あくまで供給であって需要ではない)にしめる国内産の割合
ということになる。

ということはもとより実際の摂取カロリーとは一致せず、
摂取されない=廃棄される分も含まれ、
かつ、自給率70%台を誇っていた60年代から見れば飛躍的に伸び
現状過剰なはずの現代人の摂取カロリーはかんがみられておらず、
なにより“国内産”の考え方も眉唾。

例えばスーパーではほぼ全量国産の卵。
「重量ベース」の自給率で見ればなんと96%。

でも熱量計算のためにその飼料の自給率やらを重ねると、カロリーベースで10%満たないことになる。

こういったからくりで食肉や乳製品の自給カロリーは異常に低くはじき出されているそうです。


そんな日本も実は「金額ベース」でみれば自給率約70%。
全世界を悠々リードしている、ということにもなる。


なんだこれ?


おかしなおかしな数字のマジック。



当然ながら、高自給率だった60年代に比べ、農業技術は遥かに発展して
農畜産物の生産“量”は大きく伸びているわけで、
これらを分母としている“率”の計算が過去や他地域との実態比べに相応しいはずがないのです。


僕が言うことでもないのですが、
食料自給率を低くアピールして、農業の弱体化を叫び、危機感を煽るものの真意を問いたい。

その危機感を後ろ楯に政権政党が掲げている戸別所得補償制度なんて、みるからにあやしい。




なにはともあれ、どんな意図をもってどんな方法で導かれたか分からない数字なんて
始めからあてにすべきでなく、
むしろそういう「黒い意図」に満ちたものをも含む情報という情報を追いかけることなく
実感との食い違いに気付くことのできるような、
そしてその実感にともなった反証を育てられるような日々を送ることの方が、ずっと大事かと思う。





およその情報は、外から、多くは数字をたずさえてやってくる。
実感はいつも、ここから、数字にも言葉にすらもならないで湧いてくる。



信じるのなら、常にここからの、自分からの感覚
そうでありたいと思うのです。
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by aji-kyuu | 2009-09-17 22:40 | 考える | Comments(0)
祭りのあとさき

一日目は、雷まで鳴る悪天候の中
二日目は、その反動かかなりの人出で身動きのとりづらいような中
お越しいただいた皆様、ありがとうございました。

あの状況で僕のことを気に止めておいていただき、探し当ててくださった方々もいらっしゃり
それを思うと、感謝は尽きません。

にもかかわらず、体調管理の甘さから一日目は夕方にも早じまいしてしまったため
お会いすることのかなわなかった方もいらっしゃったかもしれません。
大変申し訳ないことをしてしまいました。
すみませんでした。




今回の祭りを通して改めて思うこと。

イベントへ出店の魅力は、なにより「出会い」にあります。
それまで見たことのなかった方が僕の陶器を、ふと目にし、手にする。
そして二言三言のちょっとしたやりとり。

どちらともなく、人と人がほんの一瞬交差する点。

そういう可能性がそれこそ無数に散らばっているこういった機会は僕のような者にとって、とても貴重なんだ、と。
純粋な意味で、陶器を介して繋がる瞬間が確かにあるのです。
もちろん偶然の助けを借りたなかで。

小さな小さな一歩目のコミュニケーションではありますが、これがことのほか刺激的に感じられます。


もう一つ。
お客さんにも同業者にもこういった定期的なイベントを期として
ある程度のインターバルを挟みつつも僕自身が「見守り」続けてもらっている、という側面も見過ごせません。
善かれ悪かれ自分とものの変化を肌身で感じてもらうことができる場であり
その反応を翻して自分を再認できる大事な現場です。



陶器市
売り上げはともかくとして
僕にとってはまだまだ重要な発表形態のひとつです。




さてさて、ああしたいこうしようと次々に先がひらけていく現在。

今後
陶器市としては10月末日からの栃木県益子町の恒例のイベントに出店予定。

それより先んじて、目下次なる発表は10月末、愛知県の常滑にて予定されています。
こちらはこれまでの自身の流れとはちょっと異なった格好の展示会となるはずです。

ただ、根っこは相変わらずに
でも、ひとつタガを外して、少しばかり展開させるつもりです。

そちらにもどうぞご期待下さい。




まずはせともの祭にお越し下さったすべての方に

ありがとうございました!
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by aji-kyuu | 2009-09-15 00:13 | 案内 | Comments(2)
せともの祭のご案内。
秋です。

行楽の秋
収穫の秋
食欲の秋


そんなわけで、僕の実家の隣まち愛知県瀬戸市で開かれる大イベントに出店します。
というお知らせ。


第78回 せともの祭
2009年9月12日(土)〜13日(日)
午前9時〜午後8時(13日は午後7時まで)
名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅前、および瀬戸川沿いほか

オフィシャルサイト


言わずと知れた歴史あるせともの廉売市。
一般に量産業者が在庫一掃で大安売りしていて、山となった陶器から掘り出し物を値切って値切って‥
といったイメージが根強いようですが
実際は瀬戸周辺の若手作家らが自ら数多く出店していて、
B級品どころか、こういう場にしかまだ出せないような試作・実験的なもの等々
エネルギーの通った面白いものが見られたりします。

なにより作家ものならその作家に会ってこそ。
作り手が自分の作ったものを前にして、こうもずらりと並ぶことはそうそうありません。


街をあげてのお祭りの活気を感じながら、ぶらり来てみると
器に人に、いい出会いがあるかもしれません。


そういう僕ですが、
尾張瀬戸駅から川を挟んだ反対岸の大きな文化施設「瀬戸蔵」そばに
作家仲間二人とテントを出します。

店舗番号 315
屋号 「しっぽ」


と名付けて、二日限りのお店を開きます。

(駅とは逆岸の川沿いに並ぶテント列の一番東寄り。瀬戸蔵に行き着く手前です。
詳しくは当日インフォメーションで上記店番号をご参照ください。)


ご一緒するのは瀬戸でギャラリーを経営する仲間。
ずば抜けた造形センスで描いたり削ったり、粘土のいきものを作り続ける阿部未来(アベミキ)さんと、
染付けの器用な器もさることながら、陶猫に霊魂をのせてしまう岡山富男(オカヤマトミオ)さん。

二人ともお世辞でなく心からおすすめできる作家です。
阿部さんは、これまで僕が出遭ったことのない唯一無二の「手」を持っているし、
岡山さんは、米すら自給するその生き方から僕自身多大な影響を受けています。

この先輩二方と店を出せることそれ自体が単純に嬉しく、楽しみだったりします。


とはいいつつ、僕もこの機会を活かさない手はないので
ちゃくちゃく準備もしています。

ここ最近のいちおし、白土と灰釉の石目皿を中心に
白化粧ものや先日のグループ展より出品している長石系の仕事も見ていただけるよう
考えています。


僕の器は直接見て触って初めて知れる器です。
そして、使ってやっと分かっていただけるもの。


ですから、
この祭をきっかけにぜひお越し頂き、声をかけていただけると幸いです。

祭なんだから、話し込んだって平気です。


ちょっとそこまで、くらいの軽い気持ちで(ただし、人の多さはご容赦下さい)、
せっかくだから、いろいろなお店をのぞきながら、しゃべりながら、
あっちにこっちにのんびり歩いて
気付いたら僕らのテントに着いていた。
そんな調子でちょうど良いかと思います。



どうぞよろしくお願いします。


*当日はできる限り公共交通機関をご利用下さい。道路規制もありますし駐車場や周辺で大混雑が予想されます。
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by aji-kyuu | 2009-09-05 22:24 | 案内 | Comments(8)
干して干して太陽さまさま
b0156116_2042235.jpg今晩は
干し大根と干しゴーヤーと干し茄子カレー。

というのも
なかなか太らない春大根に先日見切りを付けて
全部抜いたはいいけれど
見るからにいまひとつ。
ガリガリ齧ると苦くて瑞々しさもない。

それならば干してしまえ。
乱切りで日干ししました。
ついでに早く穫りすぎたかな?てなゴーヤーと
冷蔵庫の茄子も。


今日岐阜は34℃。
その中、大根と小松菜の跡地を鍬で起こして畝を作り直し
周囲の草を刈って
適期逃しそうな秋蒔きものの準備。


久々の全身運動。
しっかり汗かいたので、
そうだ、カレーにしよう。
と。



カレーは残念な味でしたが、大きく干した大根の上手い(であろう)調理法を思い付きました。
ものは試し、ということ。



今年はいろいろ干して干して、乾物利用の上手な生活を目指そうか。

そうそう、もう季節は収穫の秋ですからね。
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by aji-kyuu | 2009-09-05 20:57 | 食べる | Comments(0)
会期終了
b0156116_22254611.jpg
本日、名古屋市・妙香園画廊でのグループ展「布とうつわ展」が終了しました。




残暑厳しく、
そのうえ土日には様々なビッグイベントが重なり、ごった返す人込みの中
お越し下さったすべての方々、
本当に有り難うございました。


ご覧いただいたとおり、個々まったく異なる世界観が一同にする展示会。
まとまりには少々欠けていましたが、その分もの作りの多様なスタンスが垣間見られ、
楽しんでいただけたのではないでしょうか。


僕自身は、不慣れな電車通いと接客に心身磨り減らしながらも
日常では思い及ばない街の空気を感じられ、

なにより、自分の作ったモノを“自分の手から”直接お渡ししていくことの喜びと充実を
あらためて思う一週間でした。


最初から最後まで、僕からアナタまで。
理想のひとつのかたちです。



今後とも、繋ぐ橋渡しとしてのより良い生活道具を真摯に作り続けること、
お約束します。




最後に、
お越しいただけなくとも
遠い地で心の内に応援して下さった方々、
有り難うございました。

今度はきっと、そちらへも展示会というかたちでお届けにあがります。
それまで、いましばらくお待ち下さい。




本当に、有り難うございました。
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by aji-kyuu | 2009-09-01 23:05 | 案内 | Comments(0)