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夢のあと
b0156116_21375914.jpgなんだろう。
この時期にしては異様に脂ののったサンマ。
煮るにはちょっと相応しくなかった。

とはいえ、美味しい。




灰〆  五寸鉢



書き込みは久しぶり。
お陰さまで、そのくらいに切れ目なく忙しくさせてもらっています。

とりわけ最近は作陶以外の活動も忙しく、打ち合わせだなんだと家を空けることも少なくない。
右腕ばかり運転焼けしています。

それも偶然か必然か、映像に関わることがぐんと増えているここひと月。


そもそも大学では映像を専攻して、学外でも精力的に映画作りをしていた5年ほど前。

やきものをやっていこうと決めてから、「足を洗う」気なんてなかったものの自然カメラから離れていったわけで、
当時これでもかというくらい使い倒していたビデオカメラを先日数年ぶりに開封。


今、「やきものとその背景を語る」趣旨の映像を絡めたプロジェクトを立てて、9月に瀬戸のギャラリーでの発表を控えているため、
カメラ抱えて取材に動き、懐かしむ間もなく編集を始め、
来月にはその同じギャラリーで企画した撮影ワークショップのためプロの写真家さんと打ち合わせしたり、
友人の映像作家の作品に出演したり、
大学同期の自主企画の脚本を読み込んで意見してみたり、

なんだか、それぞれの現場で時が逆戻りしたような錯覚をおこしてしまい
楽しい反面、ちょっとまいるのも正直なところ。


それでも、そんな状況に置いても当時と現在の僕の思考にいくらの相違もなく、
違和感なくやきものの話とオーバーラップさせて語れるということをあらためて自覚しました。


暮らしは180度変わったといっても過言じゃないけれど、
根っこがほとんどブレていないことに、我ながら驚きます。



懐かしさ半分で気持ちは掻き乱されるし
プットアウトの方法論があまりにも違うために多少の混乱を起こしつつも、
自分を省みるいい機会になっています。
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by aji-kyuu | 2010-07-27 22:15 | 考える | Comments(0)
無事です。
一昨日の晩から、昨日の朝にかけていくつか安否を気遣う連絡をいただきました。

まずは、ありがとうございます。

幸い我が家の周辺ではたいした被害もなく、いつもの朝を迎えていたので
ご心配の声に多少驚きもしました。
そんなに遠くない岐阜県内であのような状況になっていたなんて、
僕自身はまったく知らず。


自然を前にしたら、生き死になんて紙一重なんだな。
再確認です。



なにはともあれ僕は相変わらずで元気に生かさしてもらっています。
大丈夫です。
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by aji-kyuu | 2010-07-17 23:30 | その他 | Comments(2)
物から物語へ
選挙がありましたね。

やっぱり依然として我が家にはなんの資料もなく困ったのですが、
ちゃんと行きました。
雨の中、長靴で。

結果はおおよそラジオから流れてきています。




この選挙行動、あるいは投票というもの
民主主義の原理原則なんだけれど、最近ちょっと不信感。
選挙する方にも選挙される方にも。

皆あまりにも短絡的すぎやしないか?

カネの問題とか、増税とか、言ったとか言わないとか。

そんな些末なこと‥


国債がこれだけ刷られているということは、先の世代にその分の納税が確約されているということ。

政権をぐらつかせるということは、それだけ不毛な政争に時間と労力を割かせるということ。

その場その場の近目で動いては成るものも成らない、と思う。



「市場経済や民主主義の投票制度のもとでは、投票権のある現世代の意向だけが尊重されることになるため、現世代が刹那的であればあるほど、長期的な観点からの決定がなされないということになる。」(中谷巌著)



過去や未来を思わずに、今日と明日、私と私の周り数人を凝視するあまりの刹那的(ある意味ではしがらみから自由な)選択はもうやめたい。


そこにその瞬間在る「物」という実体は確かに大事だけれど、
その物が負う過去、その物が辿るであろう未来
そういうものひっくるめて認めたい。考えたい。

「物」はそのまま「人」にも替わる。



自分のことは嫌いじゃない。
けれど正直自分がどうなろうと構わないかな、とも思う。
どうなってもそれはそれで良しとできるだろうし、そもそも僕一人良かろうとしかたない。

たまに、なんでこんなことしているんだ自分
と思いはすれどやめるには到らない。

僕を突き動かしているのはたぶんそういった多様で果てしない物語、物語、物語。
だからやめない。




選挙のたびに思うのは、
この一票が明日を劇的に変えることはないということ。
それでも、これまでが積み上がった、これからへ繋がり得る一票だということ。


何事も長い目で読み込んでいかなければ。




b0156116_20324029.jpg頂き物のトマトの水煮とうちの畑のピーマンで

奈良の山奥の土からなる器に盛って




ここにも、物語。



灰〆  九寸皿
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by aji-kyuu | 2010-07-12 21:33 | 考える | Comments(3)
ひと針ひと針が繋ぎ留めるもの
関東圏の方へ、心底お勧めの展示があります。

展示会というより、とあるミュージアム(実質資料館)の常設展示。


東京は浅草、浅草寺すぐ脇にアミューズミュージアムという施設があります。
本当に喧噪のすぐ脇、旧いビルを利用しているためさほど新しさをアピールしていない外観ですが
まだオープン一年に満たないミュージアムです。


ここに納められているのは、民俗学研究者の田中忠三郎がコレクションした衣類、民具など。
いまや歴史的価値すら見いだせるような下北半島地域の忘れ去られた農民具が常設されています。


先日東京に出た際に、何で得たのかそのミュージアムが良さそうだ、とそれなりに期待して行ったのですが‥



打ちのめされました。

惚れ惚れして、興奮して、ちょっと泣きそうになりました。

もの凄く素晴らしい所蔵品です。


なかでも圧巻は「ぼろ」と呼ばれる衣類。
麻や当時貴重な綿を何世代にも渡って継ぎ接ぎしながら使い続けた農作業着や防寒着などなど。

あの刺し子の気の遠くなるようなひと針ひと針。
擦り切れた布目からのぞく痩せた綿塊。
テキスタイルデザインの妙。

そしてなにより、それら衣類のもったりした厚みとじっとりとした重み。
継がれてきた月日が確かに詰まっている感。

実はここ、展示物のほとんどが“さわれる”のです。


本来史料的価値が高いといえど民具たるや触ってなんぼ。
とはいえ現実そんな奇跡的な資料館他にありません。
まして、布製品。

いつまで続けられるか難しいところでしょうけれど、
アミューズのこの展示方針はとてもとても意義あることだと思います。

残念ながら、路上の人出に照らすと客足はいまひとつでしたし
立地の正否含め、展示スタイルに首を傾げざるを得ないところもありましたが
それを差し引いても余りある良い品々。




しかし本当に、頭の下がる時代です。

ひとつのものにこうも執着して、膨大な手間と恐ろしいくらいの時間を捧げていた頃。
あえて言うまでもないことだけれど、自分が恥ずかしい。


しかも当時の人々にそうさせていた原動力は経済的貧困を背景にするものの、まず家族への愛。
人への思い。
それがなけりゃ、闇夜に寒さを堪えたった一人で何時間もちくちく刺し子なんてできっこない。


命懸けて子へ「生」を繋いでいこうという仕事。
そうした宛先のある仕事には到底かないっこありません。

思い知りました。



ファッションやテキスタイル関連を志している人はもちろん、なにかものを作っている人作ろうという人
絶対に見てきてください。触ってきてください。
写真じゃ駄目です。



個人が個人にものを作るというのはこれくらいの気概が愛が必要なのかもしれない。
それが生活道具ならなおさら。




今回はたまたま映画『Flowers』を観た後だったから、
より突き刺さりました。



繋いでいきたい。

人としても作家としても。
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by aji-kyuu | 2010-07-02 22:14 | 観る | Comments(0)