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ユノネホウボウ2012開催に際して
いよいよ開催までおよそ一週間にまで迫ってまいりました。

今日は6月9日(土)、10日(日)に瀬戸にて開催する「ユノネホウボウ2012」について、
書いておこうと思います。


瀬戸、多治見、常滑のやきもの作家と料理家によって組織された実行委員会主催の屋外フェアイベント。
僕はその実行委員会の代表をさせていただいております。

とはいいつつも、
ここでは代表という立場で述べるにはばかられるところまで踏み込んでお話ししたいと思うので、
あくまでも、いち実行委員、あるいはそもそもの企画発案者としての考え、と
とらえていただければ幸いです。

とても長い文章になりますが、誤解や曲解をもあえて呼び込むような短文・数打ちに
身を託すことはできない性分です。
いささか勝手ではありますが、最後まで読んでくださると嬉しいです。



この現体制でのイベント「ユノネホウボウ」自体は昨年6月が第一回。
前身となったのがそのまた1年前、僕も運営に参画するギャラリーくれい主催の
「湯之根やきもの長屋まつり」でした。
いずれにしても、発端となる案を会議に持ち出し、内外の友人知人を巻き込み、旗を揚げんとしたのは
僕安達です。

2年半前頃になるでしょうか。
当時のギャラリーくれいの在り方や、瀬戸周辺の作家を取り巻く状況に少なからず違和感を抱き、
またその頃から僕のもの作りの根底にあった価値観、理想といったもののゆく先に
薄暗いもやがかかりつつあることを感じ、
それらに恐れ縮こまるのでなく、むしろそれらを払い退け、
ほとんどゼロベースからあらためて足下を積み上げ直していきたい
そういう思いで、企画を編み始めたのです。

すべきか否か、はたまた今がそのタイミングなのか云々。
不安を残しつつも声を上げたわけですが
思いのほか一部に共感をいただき、賛同を得、イベントとして動き始めました。


あれから時は過ぎ、その間社会的に転換を強いるような大きな厄災を挟みつつも、
僕にとってこのイベントの意義は、今も少しも減じておらず、
それどころか、その必要性はより増したとすら思っています。





部屋にいて、ふと目を上げるとそこに得体の知れないものがずらり、在る。

例えば消しゴム。
それは確かに、書かれた字図を消すゴム。機能は明瞭。
だけれど、それはあまりに無口で、
何を何処でどのように加工したものなのか、誰のどういった思いでそこに在るのか
まったくもって分からない。
白く、角の出たスマートな機能的表面に、ほかすべてが隠蔽されている。

それで擦れば字は消える。
けれどお前は何ものだ?


気付けば、そんなものたちに囲まれ、それらに寄りかかって成り立つ僕らの生。
思いのほか、不可解で脆弱な存在のものの上に在る僕らの日々。

けれど無遠慮にこの状況を悪しと責めるにもいかない。

生産のライン上でそういったことを考えて手を止めたり、
店頭で逐一悩んだり、
使う段で思いとどまったりは経済観念上、不合理なことも明白。

このスピードで流れる社会に身を置く以上、今さらどうしろというのも分かる。
バッサリ断ずることはできない。


ならばほんの一部でも、
あるいはむしろこの危うさを自覚して、ささやかなれど確かなところに自分を繋ぎ留めておくために、
ゆえのある何がしかを生活に据えたい。

僕ならそう考えます。


幸いにして個人作家は、道具にしろアートワークにしろ
どれだけの責任を感じているかは人それぞれとして
もの作りに関わるほとんどすべてを、一人がまかなっています。

何をもってどう作るのか、どういう考えと思いをそのものに託すのか。
唯一無二の名前と人格を有する、いち個人が担っています。

その意味で、僕ら作家の作るものは縁故を物差しに見れば、とても解りやすく、贅沢なものだといえます。


もとより、あらゆるものは様々な過程と背景その他を目一杯背負い込んでいます。
それらを「重い」荷物として、無きものと隠し、表層の「軽さ」、スマートさを演出するのは
どこか間違っているし、ものに対して失礼とすら思ってしまいます。

ものの後ろを大切にする、そしてその後ろをきちんと伝えていく。
今、そんな役目をも作家が負うているのだということを、僕ら自身認識すべきなのではないかと。

ユノネホウボウはそんな考えから発案しています。
だから、作家の現場になるべく近いところで、当の作家自身がテントに立ちます。
そして今年からいっそう、作品の背景をお知らせするための展示販売での工夫を各作家に求めています。
道具や原料の並展示、工程や成り立ちの説明、デモンストレーション。
それらを含んだ作家ものとしての本当の価値を、実感できるはずです。
けして“付加”価値ではありません。
ものの価値とはもとよりそういったところにこそ内在しているのですから。




昨年の3月11日以降、
ほとんど疑いなく安定的に成立していると思っていた、
エネルギーを始めとする社会システム諸要素の危うさが露呈して、
薄々知っていたとする人も含めた誰もが、一時たじろぎました。

あらわになった歪みに対し、
数字をあげて分析し、問題の真っ向から対処解決しようとするのもひとつ。
集団に参加、活動することで、制度や枠組みから直裁的に是正しようとするのもひとつ。
足下から見直し、身の周り、日常をその手で変えていこうとするのも、
またひとつの身振りだと思います。

どれか、ではないという前提で
けれど、誰でも、一人からできることというのは、結局のところ小さな小さな小さなこと。
充分な自覚と責任を持ったうえでできることというのは、手の届くところ、我が身のこと。
すべてはそこから。

さならば山で焚き木を拾おう。
明日麦を蒔こう。
そんなことは誰もがすぐにできることではないのだから、
麦を蒔いた知り合いの生地を、拾った薪で焼く、これまた知り合いのパンを、次は買おう。
そういったこと。

フェアーなやり取りの名のもとに、良き縁故をも「しがらみ」に回収されてきた感のあるこれまでではあったけれど
もうそういうのはやめにして。



一部の権力者、知識人、守銭奴がこんな社会にしてしまった、
のではなくて
僕らがひとりひとりが、ぐるり見回せる範囲のこと、体内に入るものをすらかまうこともおろそかにしていた、
多かれ少なかれ、そのことが市場経済合理性一本槍の社会システムを間接的に支持してしまっていたわけで
なればこそ、それに対抗するのもまずはそこから。
僕はそう思っています。


こういった思考を経て生まれたのがユノネホウボウ。
「ユノネホウボウ2012」のいち側面です。



哲学とか思想めいたことというのは、とかく現実から浮き上がってしまいがちで
なかなか身体化しません。
原因はひとつに、生活へ落とし込みにくいから。
テレビが僕ら世代の思考法を決定付けたのは、お茶の間に完璧なまでに入り込んだから。
今やネットもしかりです。
そう考えると、器やら生活道具はその点もってこいなのです。

生活道具から生活を変え、考え方を少しずつでもあらためていく。
そのことが、やや遠回りだけれど社会を組み直していく第一義的に有効な手段だと
僕は、信じています。

そして、そのものを取り巻くように編み上げられていく縁故が、
一種のセーフティーネットとして僕らを受け止めてくれるはずです。

制度やデータとして記述できる成果は見えてこないかもしれない。
明日明後日にビビットな効果は現れないことでしょう。
でもこれから数十年先に目を凝らして見遣れば、
予測困難な状況変化に柔軟に対応しうる人的繋がりという財産は、圧倒的だと思うのです。

間に挟むものは、別段やきものでなくてもいい。
家具でもいい、野菜でもいい。
前段としての商店でもいいし、まずは隣家が先かもしれない。
ともあれ、自身の興味にそぐうところから、実際的なところから、始めればいい。

その中で、もしやきものに、器使いに楽しみを見い出してくださっているのだとしたら
「ユノネホウボウ2012」、自信を持ってお薦めします。





さて冒頭から述べたように、
ここまでの弁はあくまで僕個人のもの。
ユノネホウボウ実行委員のうちですらまったくの同感という方はいらっしゃらないでしょう。
自覚しています。
でも悲しくもありません。
なぜなら
同時代に生きるものとして、抱いている危機感・違和感には誰しも大きな開きはなく
描く理想にも、実のところ大差はないのだと思うから。

ただ、それぞれがそれぞれ唯一無二の境遇を生きているのだから
そこから導き出される方法論、アプローチは千差万別。
同じ頂を仰ぎ見て、登る道程、登り方が異なるまでのこと。

こんなルートを選んだら、こうなったよ。ここまで行けたよ。こんな壁にぶつかったよ。
じゃあ、オレはあっちから行ってみようか。
そうして繋がればいいじゃない。


だから僕はこれまでもこれからも、「ユノネホウボウ」だけに留まらず
ありとあらゆる、信じられる限りの方法であの山頂を目指します。
長過ぎたり短過ぎたり、太かったり細かったり
四方八方に延びるザイルを腰にしっかり結び付けて。


どうぞよろしくお願いします。







時流に照らしたら、半ば犯罪的に長いこの記事を
最後まで読んでくださり、有り難うございます。

肝心のイベント詳細については公式ブログへ譲ります。
ぜひ参考に。


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会場でお会いしましょう!
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by aji-kyuu | 2012-05-31 21:11 | 考える | Comments(6)
できる、かもしれないこと
昨日、益子の長期滞在から戻ってきました。

4/30まで開催されていた「方々の豆皿 セト@益子」展にお越しくださいました皆様、
ありがとうございました。
当地では普段なかなか目にすることのできない瀬戸周辺の作家ものに
大変評判をいただき、お店に立つ甲斐を感じる展示会でした。

紹介と交流という意味でも、目的を果たせた企画となりました。


この豆皿交換プロジェクトは始まったばかり。
次回第2段は愛知県瀬戸市での開催「方々の豆皿 マシコ@瀬戸」展
本年9月にギャラリーくれいにて益子周辺作家さんの豆皿が並びます。
詳細は後日。
ご期待ください。



また、春の益子陶器市でも僕のテントまでお越しくださいました方々、
ありがとうございました。

迷いに迷い、僕の器を選んでくださる方
以前も、あるいはほとんど毎回のように来てくださっているであろう方、
作者本人としてそこに直接居合わせることができる嬉しさは格別で
次への推進力となっています。
あらためて、有り難うございました。

そして今回、そんな展示販売もさることながら、
お客さま、同業者、友人ほかたくさんの方と琴線触れあうような話ができたこと。
その距離に面と向き合うことでしか得られない時間は、こういったイベントでの一番の収穫となります。

わずかでもその時間を共有してくださった皆さまに、感謝します。

加えて今回は自然の驚異に遭遇し、それを知った各地の知人友人から心配の声をいただきました。
このとおり、僕自身には実害もなく免れました。
ご心配ありがとうございました。


とにかくも右に左に、激しく心を揺さぶられるこの十日間でした。

僕にとって、何が大切で、誰が大切で、そういったもろもろをいかに守り、温めていくのか。
分からないながらに、それでもやりようはきっとあるのだと、あったのだと。
偶然にもここに生きながらえているのだから、
前方からつうっと伸びるひと筋の光に目を凝らして、手繰り寄せていかねば
そう思う今日です。
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by aji-kyuu | 2012-05-09 23:35 | 考える | Comments(0)