春色益子陶器市
春色益子陶器市
2009年4月29日(水・祝)〜5月6日(水・祝)
10:00頃〜17:00頃




今年も栃木県の窯業地、益子で行われる陶器市に出店することになりました。
その詳細です。

益子陶器市は毎年春と秋に一回ずつ開かれる、日本有数規模の即売イベントです。
“民芸”で名高い益子町の目抜き通りと周辺施設を会場に、数えきれないテントが軒を連ねて
主に陶磁器の販売をします。
窯元さんの叩き売りイメージが強い方もいるかと思いますが、
各地で個展をするような作家のものもかなり多く、最近では陶磁器のみならず木や鉄、革などの出店もあり、エリアによってはクラフトフェアの様相もみられます。
出店数が非常に多いため、一日二日で回るのはまず不可能。
エリアを絞るか目当てを絞ってじっくり回ることをオススメします。

また「北関東というより南東北」といった山深い町を想像しがちですが、
お洒落なカフェやお菓子屋、雑貨屋も少なくないですし、
わざわざ東京から足を運ぶ人もいるようなギャラリーや企画スペースもあって、
祭期間というのを差し引いても、町にあふれる活気を感じます。

作り手はもちろん、全国から感性の強い人達が集まり活動拠点としつつある、ちょっと不思議な土地です。


さてそんななか僕は陶芸メッセ・益子という施設の遺跡広場というエリアに出店します。
この場所、メインストリートから坂や階段を上がり切った、おそらく会場最高地。
芝生に腰掛け程度の岩が点在する広場で、眺めは良いし風も心地良い、知る人ぞ知る“ランチスポット”です。
出店者は益子周辺在住の若手作家を中心に愛知や岐阜など全国から集まる、陶器市の中でもどこか異質な雰囲気のエリアで、
客足の絶えない通りとはまったく違ったのんびりした空気が漂っているかと思います。
おかげでゆっくり回れますし、出店者との会話もしやすく、なにより僕の性に合う
そんな広場です。

僕のテントは円形になった出店エリアの一番外側。
目印は紺のテントに宇治のお茶箱
定番とともにこれから窯に入れる新作のものや、現在試験を重ねているものなど並べる予定です。


東京からでも電車や車、交通の便はお世辞にもいいとは言えない益子ですが、
季節も春です。
僕の大好きな大谷石採石場や日光東照宮、温泉なんかも合わせたりして、ぜひいらしてください。

お越しいただいた際はお気軽にお声をかけてくださいね。
どうぞよろしくお願いします。



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# by aji-kyuu | 2009-04-03 00:24 | 案内 | Comments(4)
意外と音楽好きなのです。
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わあ4月。
毎日がびゅんびゅん過ぎる。


ついさっきラジオから荒井由実の「卒業写真」が流れていた。
この時期さして珍しくないのだけれど、
いつもなら聴き流すのだけれど、

ふと気を緩めた隙に、ひっぱられて、のみ込まれて
平静に聴いてはいられなかった。


  話しかけるように ゆれる柳の下を
 通った道さえ今はもう電車から見るだけ

 あの頃の生き方を あなたは忘れないで
 あなたは私の 青春そのもの

 人ごみに流されて 変わってゆく私を
 あなたはときどき 遠くでしかっって


 あなたは私の 青春そのもの




あの頃の自分の生き方が正解だったかは、今もって分からないけれど
あの頃の全部を青い春としていっしょくたに抱えたまま、この先もいきたい。



先日ひとまわり年上の人の車に乗せてもらった時、HDプレイヤーの中に松田聖子をみつけて
それを一通りかけてもらいながら喋ったこと。

松田聖子や荒井由実、山口百恵。松山千春にはっぴいえんど、さだまさし。
70〜80年代の音楽って本当にいい。
今でこそ細かにジャンリングされてしまうのだろう、いわゆる歌謡曲。

ゆるいくくりだったからこそ、言葉や形などなど外からのアプローチに始まることなく
内から溢れるにまかせて生まれ出た音楽。
そんなところだろうか。


そうでなければ、どうしてこうもあの頃の曲に惹かれるのだろう。


日々ラジオをにぎわす最近の音楽の大半は、恐ろしくぺらぺらです。
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# by aji-kyuu | 2009-04-02 22:48 | 聴く | Comments(0)
期待は気体のように、
ここしばらくなんだかとても忙しい。
とはいえ、そのわりに結果が出てきていないので正直しんどくもあるのだけど
そこへの結びつきを焦って求めないで、じっと辛抱辛抱。
そんなとき、忙しくしている内容に自分が納得できていること、それだけがほとんど唯一の支え。

大丈夫大丈夫  
と唱える。


今日は旧くからの友人であり、文字どおり同志のAが我が家に来てくれた。
彼とはいつ会っても、互いに尽くせないくらいの語りたい“思い”があるからか、ひたすら喋り続けることができて
今日も夕方から延々と。

もちろん立場もアプローチも違うのだけど、ここ数年来見ている方向は同じようで
岐阜へ来て以降、ともすれば忘れがちだった僕の中の危機感を掘り出して、交換しあえたことは
タイミングとしてもとても有り難かった。



傷付くのを恐れてあえて“期待”しないのでなくて、
存分に期待して、それを推進力に変えていく。

ただただ期を待つだけでは、あたりまえに明日は来て
そうしてまた、ただただ待つ今日が過ごされるだけ。

期待はそれ自身形にはならないけれど、形あるものを動かすための風にはなるわけで

あとは、どんな形をどちらへ動かすか、それさえ明確に意識できればきっと‥

と期待して。




‥思いは尽きません。
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# by aji-kyuu | 2009-03-21 00:50 | 考える | Comments(0)
僕を作ってきた作家達・6
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豆腐をステーキしてみる。



白土+灰釉   鉢

つい先日窯から出したばかり。
このシリーズの新しい形です。

やっぱり、少し深さをつけるだけで盛り付けの“間”がぐっと広がる。
近日作品録にもアップします。

今日ひさびさに街中を車で走っていて、
すれ違う対行車の運転手3人に1人はマスクしていることに気付く。

そういえば家を出る時フロントガラスが嫌に汚れていたなあ
黄砂かと思っていたけど、どうも花粉らしい。

歩く人もたいてい顔をすっぽり。
いつの頃からかマスクも市民権を得たようで、
とはいえ、表情のうかがいにくさに慣れなくて
マスク人のそぞろ歩く光景はまだちょっと落ち着かない。

花粉症の苦難を知らないからいえるのですが。


花粉といえば思い出す。
ウォルフガング・ライプ「マツの花粉」


まだ大学に入学して一年にもならない頃、
同郷の先輩に連れられて行った郷里の美術館。
そこでたまたまやっていたのがウォルフガング・ライプの個展だった。

美術はもちろん、とりわけ当時盛んに使われ始めていた現代美術という用語に
「デザイン的なアプローチで大衆に迎合しているか、内に内にと自閉している不健全なやりくち」
くらいの、それこそ狭い認識しか持ち合わせていなかった僕には
ライプの表現を受け止められる度量も当然になく、
床にちりばめられ、なんだか判然としないぼやけた黄色や
ただそのままに白く見える正方平面は理解し難く、
ゆえにどうも引っ掛かる、そんな展示体験だったと思う。

あの時あの場所でのあの“引っ掛かる”体験は
それからいくどもいくども僕を小突き、揺すり、記憶の底に埋もれていくどころか、
緩やかに緩やかにひずみとして積み上がって、ついには僕の表現の足下をぐるり裏返すような、
そういう転換の大きなきっかけとなった気がする。

後々、当時の展示図録を探しまわったけれど
どこであれとうに在庫切れだった。


日常生活から地続きにある表現行為とその結果。
今でこそ当たり前に語れもするのだろうけれど、
芸術表現のボーダレスな側面を実感見とともにまざまざと観せてくれたのは彼でした。


ミクロとマクロ、過去と未来を自在に行き来するような
Aから非Aへと容易く接続できるような
というかそこにはもとより境界などない、あえて作ることもない、といった
そういう想像力を全身で抱き止めておきたいと切に思う。


繋げるのはいかがかとも思いつつ、
でもたぶん、そういうこと。

You may say I'm a dreamer. But I'm no the only one.

ジョン・レノン「imagine」
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# by aji-kyuu | 2009-03-13 00:28 | 観る | Comments(0)
いただきます
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ゆうべの大根を煮汁ごとのっける。







赤土+白化粧+長石釉  片口碗


ここのところのお昼はもっぱら丼もの。
夕飯の残りや作り置きを、温め直したお米の上へ。
たまに汁もの付けて。

なにより準備に早いし、片付けも楽ちん。

米さえおいしければ、なんだってのせられる。

そう、すべては米。


学生の時分はもとより、米どころ岐阜に住いながらもつい先日までただただ安価を求めて米を買っていた。

ところが数カ月前、
そんな自分の選び方を悔いるようなお米に当たってしまってからというもの
「やっぱりお米」と、そこには惜しまないよう心に決めている。

こういってはなんだけれど、米にもピンキリがある。
もちろん好みもあるだろう。
粒立ち、粘り‥
とはいえ売価上たった数百円しか差がないものでも
味に大きな開きがあることだって、当然にある。
それを身に沁みて感じている。


たかが米、されど米。
最近は茶碗にむかって、毎食
「うまい、」と呟いてしまう。
それだけで有り難い、と思える。


今の生活をおくるようになって、
“人生のうちで、食に捧げられる時間の割合”をあらためて考えることもしばしば。
仕事柄、とういよりは人間ですから。

僕ら働くいきものではなくて、まず食べるいきものなのですから。


そうだそうだ。
おろそかにできるわけがない。
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# by aji-kyuu | 2009-03-08 19:47 | 食べる | Comments(0)