あれから四年。 僕は変われただろうか。 僕は変わらずにこれただろうか。 多くの作家を輩出してきた、母校武蔵野美術大学のマンモスサークル出身者による展示会を企画しました。 「窯工研究会」 ヨウコウケンキュウカイ 文字どおり、素人が寄ってたかって窯まで作ってしまう陶芸サークル。 改めていうまでもないけれど、ここが僕の出発点。 やきものに出遭い、魅了され、惑わされ、泣かされて笑わされたあのほったて小屋。 そこの37代目部長を務めもしました。 この企画の世話役をさせていただきまして、 いろいろな想いが交錯する中、会期が迫ります。 落ちた穴から見えた空 武蔵野美術大学窯工研究会既卒者展 2010年8月20日(金)〜29日(日) 10:00〜17:00 ギャラリー共栄窯(愛知県常滑市) 安達健 安達知亨 蟻川誠 伊藤準 江口智己 大谷雄敏 梶山友里 久保田恭則 小佐井佳代 櫻井理人・あゆみ 新村秀人 竹村良訓 中島由記子 中山みどり 浜坂尚子 平野美帆 正木渉 岩本理枝 望月万里 安江かえで 山野辺彩 吉村和美 ちょうど会期中21(土)、22(日)は常滑のやきもの祭りとか。 街は賑わいそうです。 その会場から共栄窯もそう遠くはないですし、駐車場もあります。 ぜひぜひお越し下さい。 展示する前から見応えは十二分と自負します。 ちなみに21(土)17:30〜、オープニングパーティー。 28(土)17:00〜、クロージングパーティー。 参加自由。 いずれの日とも終日僕は在廊しますので、どうぞよろしくお願いします。 もちろん初日もおりますよ。 #
by aji-kyuu
| 2010-08-10 21:11
| 案内
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当ブログをご覧くださっている作家さま、および作家を志す方々へお知らせです。
愛知県瀬戸市で仲間と運営しているギャラリー くれいにてこの程 ワークショップ型の企画を開催する運びとなりました。 せとものの街瀬戸の作家直営のお店によるワークショップですから、 ちまたの雑貨店などで度々みられる趣味的なものではもちろんなくて 「作家の作家による作家のためのワークショップ」を掲げ、 作家活動にプラスとなるべく知識や技術を得、情報を交換しあえる“機会の創出”をコンセプトに立ち上げたものです。 ギャラリー くれい 夏期特別企画 作家の作家による作家のためのワークショップ Re − くれいchap.1 2010年8月11日(水)14:00〜 @ギャラリー くれい sec.1 14:00〜 「作家のための作品撮影講座」 講師/安野亨(プロカメラマン) sec.2 17:30〜 「磁器練りW.S.」 担当/村上祐仁(陶芸家) 両プログラム終了後、懇親会あり。 参加費 ¥3,800 参加条件 瀬戸市周辺で活動する陶磁関連の作家、あるいは作家志望であること。(あくまで原則規定です。) いまや不得手だからといって避けては通れなくなっている作品撮影術と 一部の窯業地をのぞいてほとんど絶滅しかかっている磁土特有の練り方。 今回はこの二つについて、 かたや外部の専門家(写真家)を招いての実践講座、 かたや同業の仲間を囲んでのフランクな勉強会、というようなかたちで組み合わせてのワークショップとしました。 さらに、すべて終了後には飲みつ食べつの懇親会へと流れ込む予定です。 どうしてもその制作作業の性質上、閉じ籠りがちな作家という生業。 せっかく近くにこんなにも大勢の同業者がいるのだから、縦にも横にも繋がって、 共有と共感をもって時代に向き合っていこう、 そんな大それたこと言いつつも 要は、まず興味あることを楽しく そんな企画です。 申し込みはこちらでもいいですし、僕に直接メールいただいても。 ともあれ定員ありますので、ご興味わいた方はお早めにお願いします。 よろしくどうぞ。 #
by aji-kyuu
| 2010-08-02 22:36
| 案内
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なんだろう。
この時期にしては異様に脂ののったサンマ。 煮るにはちょっと相応しくなかった。 とはいえ、美味しい。 灰〆 五寸鉢 書き込みは久しぶり。 お陰さまで、そのくらいに切れ目なく忙しくさせてもらっています。 とりわけ最近は作陶以外の活動も忙しく、打ち合わせだなんだと家を空けることも少なくない。 右腕ばかり運転焼けしています。 それも偶然か必然か、映像に関わることがぐんと増えているここひと月。 そもそも大学では映像を専攻して、学外でも精力的に映画作りをしていた5年ほど前。 やきものをやっていこうと決めてから、「足を洗う」気なんてなかったものの自然カメラから離れていったわけで、 当時これでもかというくらい使い倒していたビデオカメラを先日数年ぶりに開封。 今、「やきものとその背景を語る」趣旨の映像を絡めたプロジェクトを立てて、9月に瀬戸のギャラリーでの発表を控えているため、 カメラ抱えて取材に動き、懐かしむ間もなく編集を始め、 来月にはその同じギャラリーで企画した撮影ワークショップのためプロの写真家さんと打ち合わせしたり、 友人の映像作家の作品に出演したり、 大学同期の自主企画の脚本を読み込んで意見してみたり、 なんだか、それぞれの現場で時が逆戻りしたような錯覚をおこしてしまい 楽しい反面、ちょっとまいるのも正直なところ。 それでも、そんな状況に置いても当時と現在の僕の思考にいくらの相違もなく、 違和感なくやきものの話とオーバーラップさせて語れるということをあらためて自覚しました。 暮らしは180度変わったといっても過言じゃないけれど、 根っこがほとんどブレていないことに、我ながら驚きます。 懐かしさ半分で気持ちは掻き乱されるし プットアウトの方法論があまりにも違うために多少の混乱を起こしつつも、 自分を省みるいい機会になっています。 #
by aji-kyuu
| 2010-07-27 22:15
| 考える
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一昨日の晩から、昨日の朝にかけていくつか安否を気遣う連絡をいただきました。
まずは、ありがとうございます。 幸い我が家の周辺ではたいした被害もなく、いつもの朝を迎えていたので ご心配の声に多少驚きもしました。 そんなに遠くない岐阜県内であのような状況になっていたなんて、 僕自身はまったく知らず。 自然を前にしたら、生き死になんて紙一重なんだな。 再確認です。 なにはともあれ僕は相変わらずで元気に生かさしてもらっています。 大丈夫です。 #
by aji-kyuu
| 2010-07-17 23:30
| その他
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選挙がありましたね。
やっぱり依然として我が家にはなんの資料もなく困ったのですが、 ちゃんと行きました。 雨の中、長靴で。 結果はおおよそラジオから流れてきています。 この選挙行動、あるいは投票というもの 民主主義の原理原則なんだけれど、最近ちょっと不信感。 選挙する方にも選挙される方にも。 皆あまりにも短絡的すぎやしないか? カネの問題とか、増税とか、言ったとか言わないとか。 そんな些末なこと‥ 国債がこれだけ刷られているということは、先の世代にその分の納税が確約されているということ。 政権をぐらつかせるということは、それだけ不毛な政争に時間と労力を割かせるということ。 その場その場の近目で動いては成るものも成らない、と思う。 「市場経済や民主主義の投票制度のもとでは、投票権のある現世代の意向だけが尊重されることになるため、現世代が刹那的であればあるほど、長期的な観点からの決定がなされないということになる。」(中谷巌著) 過去や未来を思わずに、今日と明日、私と私の周り数人を凝視するあまりの刹那的(ある意味ではしがらみから自由な)選択はもうやめたい。 そこにその瞬間在る「物」という実体は確かに大事だけれど、 その物が負う過去、その物が辿るであろう未来 そういうものひっくるめて認めたい。考えたい。 「物」はそのまま「人」にも替わる。 自分のことは嫌いじゃない。 けれど正直自分がどうなろうと構わないかな、とも思う。 どうなってもそれはそれで良しとできるだろうし、そもそも僕一人良かろうとしかたない。 たまに、なんでこんなことしているんだ自分 と思いはすれどやめるには到らない。 僕を突き動かしているのはたぶんそういった多様で果てしない物語、物語、物語。 だからやめない。 選挙のたびに思うのは、 この一票が明日を劇的に変えることはないということ。 それでも、これまでが積み上がった、これからへ繋がり得る一票だということ。 何事も長い目で読み込んでいかなければ。 頂き物のトマトの水煮とうちの畑のピーマンで 奈良の山奥の土からなる器に盛って ここにも、物語。 灰〆 九寸皿 #
by aji-kyuu
| 2010-07-12 21:33
| 考える
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