日が暮れるのも少しずつ遅くなってきたこの頃。

今日、ちょうどそんな時間
工房の東に向いたすりガラスの窓の方へふと顔を上げると
なんともいえない青、一色。

わ、
思わず口に出してしまいました。

こういうの、写真に撮ってしまうのは好きでないので想像にまかせたいのですが、
本当にやわらかくて、静かで、ほのかに切ないブルー。

サイレント・ブルーとか云ったっけ。

しばしそんな青に自分を浸して、ぼんやりしてみました。


「ブルー」で思い出したこと。
デレク・ジャーマンという映像作家の映画『Blue』。
この監督の遺作となった作品。

全編が画家イヴ・クラインに捧げたというブルー一色。
映像はそれのみ。
そこに語りや音楽がかぶる、というもの。

幸いなことにこれを観たのが大学の大きな講義室。
しかもスクリーンにプロジェクション。

スクリーンからは青の照り返し。
染まる教室。
僕も染まる。


あの時の水に浸っているような感覚に似ているなあ、と。

翻って、
デレク・ジャーマンが云わんとした「死生観」っていうのは、
こういうことなのかもしれないなあ、なんて。
一寸先は闇なんかじゃなくて。



こんがらがったまま携えて、何年も経ってから不意にほぐれたり。
そういうことって結構ある。
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# by aji-kyuu | 2009-01-27 22:41 | 考える | Comments(0)
僕を作ってきた作家達・2
一昨日、屋外で15℃。
一転、昨日は日中でも5℃を下回って、吹雪いたり日が差し込んだり、目まぐるしく変化する空で、
窓の外をときおり見遣りながら、本を読んでいることの多い一日でした。


ここに住まいを移してからほんのつい最近まで、僕の生活に本はなかった。
本どころか活字に触れることすら稀。

もともとが、小学校の図書室にならんでいた『シートン動物記』と『ファーブル昆虫記』を低学年のうちに読破するような本のムシ。
自覚している以上に活字に飢えていただろうと思う。
仕事に使うため隣家から頂いた古新聞を作業の合間合間に逆さから読み入ってしまうこともしばしば。

そんな先日、「そうか、借りればいいのか」と市営の図書館へ。
なんでこんなことに気付かなかったのか、自分でも情けないけれど、
これでやっと渇きを癒せる、と二日に一冊くらいは読んでいる。


高校生の頃から、本はたいてい勘で選んできた。
とはいっても、タイトルや装幀、文体などからなにか引っ掛かってくるものはあるか、という判断。
これが結構アタリを引く。
その時の自分が置かれた状況、考え、興味。そういったものに内容等々ぴたりとくることが不思議と多い。
手にとって開く前から、なんだか惹かれるようなものはまず間違いない。

とにかく、これまで本との出会いには恵まれてきたと思う。


なかでも、とりわけ印象深く、僕に影響を与え続けてくれる作家は“クラフト・エヴィング商會”名義で執筆から装幀などを手掛ける吉田篤弘


とある旅先で、なんとはなしに立ち寄った本屋。
それまで、なぜか他のいくつかの店でも目に付いていた、けして派手ではない表紙の一冊を買って以降、この作家の“ものがたり”の底流に強く共感し、身をゆだねて、
知る限りはすべて読んできた。

こ難しい語句は使わない。
平易な言葉の、その絶妙な組み合わせだけで文章を編み、ものがたり、
そらに浮かぶある匂いとか、音とかにすぅと形を与えてくれる、ような。
それもその輪郭は、太く描かれるようで、まるでぼんやりしている。

単語や明確な説明ではいえない、あるいはいいたくない事柄も彼になら託せる、
みたいな。



  世界はまだ終わらないというのにひとが世界を終わらせたがっている、と思う (『78』より)




この一文を、僕はいつだって握り締めている。
写真を撮っていた時も、映画を作っていた時も、
もちろん器を作っていくこれからも。
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# by aji-kyuu | 2009-01-25 19:13 | 読む | Comments(0)
温度差
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先日の雪化粧。





は、どこへやら。
明日はこの辺りの最高気温が14℃とか。
そんな日々の気温差も気になるわけですが、それよりなにより…



昨晩は僕の生活における唯一の情報源ラジオも、この話題で持ち切りでした。


アメリカ合衆国新大統領、就任演説。
全文和訳を活字で読みたいところですが、ひとまず要旨だけはつかめたところ。

ラジオニュースではワシントンの異常な盛り上がりをとにかくひつこく伝えていて、
映像がないゆえに、より凄まじい光景を想像してしまいます。

例えば、スパイク・リー監督の映画『ブラック・パンサー』や『マルコムX』。
思い返せば中学生の頃、海の向こうでの差別をどこか“フィクション”として観ていて、(実際はどちらもノンフィクションが下敷かれている)
そのなにもかもが、ドラマティックというか、大袈裟に描かれていることをとりわけ意識してはいなかった。
映画ですから、画面の中では当然の演出だと。

ここのところのアメリカの混乱や活況はなんだかとても気味が悪い。
日本での報道がよりそう思わせるのか、ちょいと芝居じみている。

でも、多分現実ってそういうものなんだろうな、とアメリカ市場の株価の冷静な反応を聞くにつけ思ったりもする。



温度差といえば、
実は今週末僕の暮らす県の知事選挙がある。
通知が送られてくるまで知らなかったのだけれど、もちろん票は投じるつもり。

が、困ったことに、候補者が分からない。
一切の選挙内容に関する情報がない。

新聞をとっていないから、存分にとはいかないにしろ選挙広報くらいポストに入らないものか、と待てどもなにもこない。
しかたなく今朝役所へ。

どうも、僕が諸々の事情から地区の組の活動に参加していないため、戸数に認められず、配付されなかったようで。

なんですか、それ。
腹が立つ。

確かに住民であり、税金も絞り出して納めているのに、この扱い。
というか、もし僕がこうして申し出ていなかったら、権利行使する機会を奪われていたわけで。


今回選ばれる知事さんが掲げ、実行してゆくなんらかの政策によって、まず直接的に救われるべき社会の最下層、末端の人々の多くはこんなようにして権利を権利としてさえ自覚することなく、うやむやにされて、ただただ厳しさに慣れることをのみ生きる術にしていかなければならないのだろうか。(特に東海圏は少し前までの好景気から一転、製造業が軒並み経営大不振にある。そんな時に、だ。)

少なくとも、この狭い県のほどほどの規模の市に住む僕が、ここ最近、候補者の熱を帯びた訴えを聞いたことはありません。
街も別段平静です。
本当に選挙なんてあるのだろうか…



日本の政治システムの内側にいる方々にとって、新たな層が政治に本気で興味を持ち、参政してゆくことは望ましくないことのようで、呆れと無力感に浸りながら、ワイドショー的なネタ程度にいじってくれていれば充分、とでも思っているのでしょう。

かつてのような活動をされては、と。




アメリカはもちろん、未だ政治的な暴動の起こるドイツや、クーデター続発の東南アジアを見て、ほんの少し悔しさのようなものが沸くのは僕だけだろうか。
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# by aji-kyuu | 2009-01-22 23:52 | 考える | Comments(0)
ふと、
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「窓の外には雪が降り積もる山あいのロッジで、暖炉にあたたまりながら、無骨なご主人が焼いてくれたキッシュを—」

そんな風に見えなくもない。
冷蔵庫の残り物一掃、平焼きオムレツ。


白土+灰釉  七寸皿


ほぼ毎食自炊で、食生活にはそれなりの自信があったのだけれど
年明けてから、どうも体調に微妙な狂いを感じる。
異常に手足先が冷たく、ちょっとした口内炎が頻発。
眼のまわりもなんだかおかしい。

もう少し真面目に防寒対策すべきやろうか。

気のせいだといいけれど‥
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# by aji-kyuu | 2009-01-20 22:08 | 食べる | Comments(0)
僕を作ってきた作家達・1
先日、ある人から“自己紹介代わりに”とでもいうように
「好きな陶芸家は誰ですか?」と尋ねられた。

まだ業界のスタートラインに立ったばかり、ひよっ子もひよっ子なので、
当然よくされる質問‥
のはずだった。

けれど、名前が出てこない。
思い付かない。

あれれれ。

学生の頃は聞かれなくても何人も挙げていたのに。

「んー、特にいません。」
なんだか感じ悪い。
でも正直なんです。

ここ数年、まともに考えてこなかったことに気付く。


いいな、と思う器は数あれど、その作り手が好きとか嫌いとか、
あえてまで同業者としての意識はしてこなかった気がする。
生意気にも。


それでもね、影響を受けてきた、今なお受け続けている作家はたくさんいるのです。
偶然か必然か、同業の人はわずかですが。

といったわけで

そんな素晴らしい作家さん達を少しずつ紹介していきたい、と。
「僕を作ってきた作家達」
第一回。


李禹煥(リ・ウファン)

1970年代の日本美術に一大ムーブメントを起こした「もの」派と呼ばれる制作姿勢の美術家の中において、理論的にも中心的役割を担った作家。
いわゆる「ジャンル」でいうと、絵画から彫刻、インスタレーション、、、
要するに純粋に美術家です。


僕がまだ東京で映画作りを学ぶ学生だった頃、映画以前、作ることそれ自体への疑念でもがき苦しんでいた時に、なにかの拍子で彼の論考に出会った。
『出会いを求めて』という著書の部分だったと思う。

どしん。
そんな衝撃音が聞こえそうなくらい、当時の僕の中の言葉にできない濁りを瞬時に吹き飛ばして、澄み切ったその先を覗かせてくれる論集で、
恥ずかしながら「もの」派すらまともに知らなかった僕は、それからというもの彼を追いかけ、周辺含めた色々を勉強したっけ。

確か2005年、横浜美術館で大きな個展を開催した時なんかは、その力にもうただただ立ち尽くして、ほぼ丸一日李禹煥に費やした。
いまだに人生で最も良かったと思える展示はこの時のもの。

とにかく、口で(言葉で)説明するのは野暮。
そういうものを作り続けている作家。


瀬戸の陶作家で、僕のバックグラウンドをあまり知らないはずの人が
「もの派みたいな‥」
と僕の器を評した時、思い掛けないワードにどきりと。

繋げて意識はしていないつもりだったけれど、そりゃ嗅覚優れていればすぐ分かるか。
そのくらい根底で繋がり得る思想が僕の中にも流れているのです。

李禹煥。
僕を語る上で絶対に外せない一人。




関連して

昨年たまたま関東に滞在中、その「もの」派の記念碑的作品『位相−大地−』(関根伸夫)が多摩で再制作され、展示してあるという記事を新聞に見つけ、勢い込んで出かけたものの、その光景にがっかり。

あれをあんな高台にやっては駄目でしょ。
まったく力失って、縮こまっていた。


地球ってホントでかすぎる!
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# by aji-kyuu | 2009-01-18 18:03 | 観る | Comments(0)