![]() 色味といい背景のガラス模様といい光線の方向といい なんだか少女漫画のようで。 小学生の頃、姉の漫画「僕の地球を守って」にどっぷりだったことを思い出す。 ともあれ写真はお隣の工場の窓辺にコップで生けられていた八重の椿。 「珍しかったからあ、もらってきたの」と、おばちゃん。 「でも‥ね。ツバキは‥ね」と、もう一人のおばちゃん。 紅色の花弁を一枚一枚はらはらと散らすのは山茶花で、 まるまるぼとりと落花するのが椿。 その様が打ち首を連想させることから、忌み嫌う人もいるようです。 実際 道の端、黒々としたアスファルトの上やなんかで 水っぽく熟れ過ぎて、鮮やかさを失ってなお生めかしいピンクの「頭」を目にすると やっぱりドキッとする。 枯れはてて落ちるならまだしも、どこかプツリと中断させられたようなボリュームを残して絶えている姿。 でも、よくよく考えてみれば 椿においての落花というのは、僕らが直にイメージしてしまいがちな「死」の意味合いよりか むしろ新たな「生」を産み落とす、そのためにこそとられている方法のはずで とすればなんら避けるべく要素もないのだけれど。 たとえば自分の一部を切り分けるように、「次」を生むのでなく 自分の生自体にとって代わらせるかたちで、「次」へ繋ぐ。 そんなふうに見えているからなのでしょうか。 生死は表裏一体。 生きとし生けるものはみな「生まれた瞬間から死に始めている」なんていうけれど では逆に、椿的な死生観を運用するならば 僕らみな「生まれた瞬間から生み始めている」のでしょうか。 どちらかといえば後者でありたい。 そう考えていたい。 そんなこんな、つらつら思考は旅します。
by aji-kyuu
| 2009-03-01 22:28
| 考える
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Comments(2)
絵の話で、
椿とか黒猫とか右下がり構図とか…、縁起的にNGのものは売れないよ、と言われた事もあるけど、 文化は文化だけど、 年配の人は特に凄く気にしている事実に、 なんだかなぁと言う気になるね。 椿なんて、木に春って書くところをみると日本の四季を代表する花だし、かわいい存在だと思うんだが。 いろいろ考えさせられるわー。
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ほお。
やっぱり絵画のモチーフ選びやらでもそういう“謂れ”が影響するんですね。 ただ縁起の良し悪しって、そのものの裏側になにかあるように感じることも確か。 迷信とばかりにまったく取り合わないのも、ね。 どうせならそれらの根っこからつかんでみたいものです。
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