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僕を作ってきた作家達・6
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豆腐をステーキしてみる。



白土+灰釉   鉢

つい先日窯から出したばかり。
このシリーズの新しい形です。

やっぱり、少し深さをつけるだけで盛り付けの“間”がぐっと広がる。
近日作品録にもアップします。

今日ひさびさに街中を車で走っていて、
すれ違う対行車の運転手3人に1人はマスクしていることに気付く。

そういえば家を出る時フロントガラスが嫌に汚れていたなあ
黄砂かと思っていたけど、どうも花粉らしい。

歩く人もたいてい顔をすっぽり。
いつの頃からかマスクも市民権を得たようで、
とはいえ、表情のうかがいにくさに慣れなくて
マスク人のそぞろ歩く光景はまだちょっと落ち着かない。

花粉症の苦難を知らないからいえるのですが。


花粉といえば思い出す。
ウォルフガング・ライプ「マツの花粉」


まだ大学に入学して一年にもならない頃、
同郷の先輩に連れられて行った郷里の美術館。
そこでたまたまやっていたのがウォルフガング・ライプの個展だった。

美術はもちろん、とりわけ当時盛んに使われ始めていた現代美術という用語に
「デザイン的なアプローチで大衆に迎合しているか、内に内にと自閉している不健全なやりくち」
くらいの、それこそ狭い認識しか持ち合わせていなかった僕には
ライプの表現を受け止められる度量も当然になく、
床にちりばめられ、なんだか判然としないぼやけた黄色や
ただそのままに白く見える正方平面は理解し難く、
ゆえにどうも引っ掛かる、そんな展示体験だったと思う。

あの時あの場所でのあの“引っ掛かる”体験は
それからいくどもいくども僕を小突き、揺すり、記憶の底に埋もれていくどころか、
緩やかに緩やかにひずみとして積み上がって、ついには僕の表現の足下をぐるり裏返すような、
そういう転換の大きなきっかけとなった気がする。

後々、当時の展示図録を探しまわったけれど
どこであれとうに在庫切れだった。


日常生活から地続きにある表現行為とその結果。
今でこそ当たり前に語れもするのだろうけれど、
芸術表現のボーダレスな側面を実感見とともにまざまざと観せてくれたのは彼でした。


ミクロとマクロ、過去と未来を自在に行き来するような
Aから非Aへと容易く接続できるような
というかそこにはもとより境界などない、あえて作ることもない、といった
そういう想像力を全身で抱き止めておきたいと切に思う。


繋げるのはいかがかとも思いつつ、
でもたぶん、そういうこと。

You may say I'm a dreamer. But I'm no the only one.

ジョン・レノン「imagine」
by aji-kyuu | 2009-03-13 00:28 | 観る | Comments(0)
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