この間、平野啓一郎『ドーン DAWN』という小説を読んだ。
筋は省くとして この話、近未来を予見したようなもので “分人主義(ディヴィジュアリズム)”を軸に据えた物語。 分人というのは、個人(インディヴィジュアル)に対する造語のようなのだけれども 関わる他者あるいは外環境によって人が使い分ける様々な“顔”のことで それが個人にとって偽りだとか本性でないとかいうのじゃなく、 無数の分人の集合体としていち個を肯定する、という考え方に基づいてのもの。 いくつかの時事的な事柄と絡めて、よくよく練られ、興味深い一冊だった。 確かに、一週間まともに他者と関わらず過ごしたりしていると 久々に会う人間への対応に不自然を自覚したり、 何年かぶりの再会で「変わった」「変わってない」とかでどうのこうの “安達健”ってどんなのだったっけ? と自分で自分があやふやに感ずることがままある。 幸いこれまでそれに恐怖を覚えたことはないけれど、思えば不確かな人格というもの。 そんなこんな、思考が飛びに飛びながら やっぱり平野啓一郎さんの書くものは面白い、と。 曲がりなりにも、映画という物語るメディアを扱っていたからか この期におよんでの小説の物語る役目なんかを考えたりもする。 「完全な」物語メディアとして力を誇っている映像に比べ、斜陽と言われ続ける小説だけれど そのなかでもこうしてその可能性を掘り下げ、復権せんともがいている(であろう)作家のものには それ相応の読み応えがあるような気がする。 ちょっと先の物事を今現在から論理的に算出して、丁寧に整理整頓し て、 あたかも地続きかのように描くことのできるのは、多分小説なんだろうな。 ひとつ前に出版されていた『決壊』も、そう思わせる凄みがあった。 「映画はデザイン」とか「数学だ」とかいわれてきたけれど その論理の精緻さにおいて小説を越えることはできない、と 最近の小説焼き直し映画を観て思ったりもするのです。 とはいえ僕の考える平野啓一郎作品の最大の魅力は その過剰なまでに組み上げられた論理を、 いつも最終的には情緒・情動的な揺らぎで打ち壊してしまうところ。 その、すごく、正直な人間観。 また次作を待ちたいです。
by aji-kyuu
| 2009-11-23 23:24
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