ここ数年、年をまたぐこの時期は
それまでの行いの皺寄せがきて、そのほころびを直視せざるを得ない状況になります。 分かっている。 半年前くらいからおよその覚悟はしている。 とはいえやっぱりその厳然とした事実を目の前にすると、 まいります。 眠りが浅くなって、 しゅーと細く活気の抜けていく音が自分の耳でも聞こえるようで。 悔しい。 でも、今回はそんな薄暗い水底で良い本に出会えました。 以下引用。 「 〜 いやしくもカタリテである君は、なるべく深い沼を選び取るべきだ。 (中略)しかしながら、お前さんが深みにはまってどうする。 カタリテはその深い沼の上を小走りで駆け抜ける技を習得しなくてはならん。」 吉田篤弘『圏外へ』より 語ることの意味と意義の淵にはまり込もうとしていた一人の作家に「先生」が諭す一言。 もう 胸がパンパンに詰まって、ほころびが裂け目になるのも時間の問題だと半ば諦めていました。 悔しいけれど、納得できないけれど、 けれどけれどけれどけれど— じゃあなぜ僕はその深い沼を自ら選んだ? 数あるうちからそちらを選んだ? ぐすぐすと足掻きながら沈んでゆくため? 底のない沼の底を覗きこみたいから? それもひとつ。 でも、 それならばひと知れず、自分ひとりですればいい。 いろいろな方々から、ときに親切にときに批判を込めて言われ続けてきました。 だから知らなかった、わけではない。 耳タコ耳タコ、内心つぶやいてすらいたかもしれません。 それでも解っていなかった、というのが本当のところ。 今日、その解ることに繋がりうる糸口が目の前に下りてきた。 一冊の小説を通り抜けて。 そんな、遠くに瑞光を見るような感動。 もう少し、あと少し。 そんなこんなで本日から、今年の目標は「小走りの習得」です。 右足を前へ出さぬうちに左足が前へ出ぬうちに右足が前へ出ぬうちに左足が前へ出る ただ左足を出すこととは「心意気」、「重み」が違うというその一歩を繰り返し繰り返し、 走らず急がず、もたつかず。 僕にもきっと小走りはできる。 できるんだ。
by aji-kyuu
| 2010-01-07 22:08
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