一週間ぶりの更新となってしまいました。
ここしばらく、「落ちた穴から見えた空」展に、「山の上マーケット」に、「ドキュメントくれい1」にと、 それぞれお越しくださった方々へろくにお礼もできていなかったことが悔やまれます。 ちょっと自分の足下にばかり目がいっているような、 外に向いた活動のはずが半端に内向きな、 自覚していました。 こちらまだまだなようですので、皆様気を長くして見守っていてくださると有り難いです。 といいつつも、 今回の映像企画「ドキュメントくれい」では急造した割に我ながら相応の手応えを感じることができました。 数年ぶりに映像の力を再認できましたし、思いのほか作家の日常と頭の中が“未知”とされていることを、 観手の方々の反応から思い知りました。 一般の、たとえ器好きな方にとっても、作家の裏側は見ようのないところ、 もっといえば見てはいけないところ、と認識されているようです。 それでも、市やフェアへの支持をみるにつけ「見たい」欲求はあるわけで、 知ってか知らずか、それに応えてきていない作家の姿勢というのは見過ごせない。 しゃべることに自信がなければ、文章書くなり、なんなり方法はあるし テントを出すにもそのちょっとした演出で表現できるだろうし、と。 でも多分方法云々じゃない。 問題は認識のズレ。 ドキュメントのために取材する際、一人の方が「有名人でもないのに観てもらえるのかな」と不安を口にした。 確かに当人にとってはとりたてて言うほどもない当たり前の日々。 交遊も作家かそれに近い立場の人々の圏内だろうから そこがその方のごく一般。 でも端からすると、その“一般”は特異なものだったりするわけで。 窯業地や作家コミュニティに長く身を置いていると、感覚はどんどん麻痺して 気付かぬうちに世間一般の認識とのズレが生じていく。 誰しも、人である以上逃れようはない。 かといって、その業界内にいる分には不都合はないから、そのズレへの自覚も生まれ得ない。 いわば専門化していったことの弊害。 (特定の業界に対しては“縦割り”という批判を込めた語を当てられるけれど、) 実は異業種間どこにもそのズレによる溝があって、いろいろな活動のダイナミズムをせき止めてしまっている。 溝を埋める、間を繋ぐ、そういった意図を持った人や場を起点にした動きは 各地各方面から起こってはいるけれど、まだまだ足らない。 もっともっと開かなければいけない。 ただし、それは単に間口を広げることとは全然違う。 白いキャンバスに無為に線を描き入れて円をかたどるのじゃなくて、 中心点をすえて、そこからじわりじわりと円形を拡げていくこと そういうアプローチでの結び合いが必要、と本気で思う。 だから、業界には馴染みない映像を持ち出してみた。 ほんのひとつの手段として。 なんにせよ一歩目はきちんと地を踏みしめました。
by aji-kyuu
| 2010-09-17 22:43
| 考える
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