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補足
江戸時代、諸国を行商して渡り活躍した近江の商人らの精神。


三方よし


「売り手よし、買い手よし」はもちろん、

「世間よし」だそうな。



さすがです。




補足_b0156116_21472984.jpg







 今日間引いた大根。
 辛かったー
# by aji-kyuu | 2009-07-16 21:50 | 考える | Comments(0)
お金の使い方
お金の使い方_b0156116_20453333.jpg
スーパーで見つけたまるまると太ったイワシ。

ちょうど食欲も停滞気味のこの頃なので
酢で煮て、冷やして、畑の恵みたちと合わせてみました。





赤土+白化粧+長石釉  片口碗



ずっと以前から、思いはすれど上手く言葉に結べなかった事柄があったのだけれど、
先日読んでいた本にピタリくる文言に出逢った。



かねてから“安い”ものを選ぶことにすんなり飲み下せない違和感を覚えていた。

“安い”の裏側にある諸々を考えると、申し訳なさが首をもたげる。


とある本の中で
「経済で買う」か「思想で買う」か
そう問われた時、僕は即答した。

経済的余裕を得た上での選択、なんていう前置きは無視して。

現実、経済力はまるで無い自分ではあるけれど
極力「思想」で買おうという意識は働いているようで、
端からすれば「なんでそこにカネかける?」なんてこともしばしば。


現行のシステムからしたら、そんな基軸でものを買うこと自体
錯誤的で、“得”をうるという意味において時流を逸してるのかもしれないけれど

本当はそうすべきだ、と多分誰もが気付いている。


僕は思想で買う。
思いと想いを買いたい。

翻って

僕は思想で作り、思想で売る。


だから
お客さんが買うと決めてくれた時点、お金の介在する以前に、
僕のもの作りは完遂しているのだと思う。



どうやらこれが意外と理想論に終わらないようなのです。
# by aji-kyuu | 2009-07-14 21:21 | 考える | Comments(0)
戴きました。
戴きました。_b0156116_22514366.jpg草木のエネルギーが空気中に漏れ出しているかのような季節ですね。


そんなこっともあってかここのところ我が家はおすそ分けにあずかってばかり。

先日じゃが芋をどっさりともらったので珍しくポテトサラダに。
マヨネーズは普段ほとんど使わないのだけれど。


赤土+長石釉 鉢


戴きものリスト。
アンズのジャムに野苺ジャム。
魚に胡瓜、ピーマン・玉葱、茄子とにんにく。
焼酎・ビールに、ハーブも株分け。
使い切れるのか不安なくらいの充実ぷり。

本当に有り難いことです。

僕ばかりか
台所までも心なしか沸き立って感じられます。


そして、
うちの畑でも緑が泡立っているのです。

例えば今朝は小松菜を初収穫。
ほんのひと株炒めてみました。

大根は葉を伸ばしてきたし、
大豆にいたっては膝を越える高さにわいわい茂って
小さな花も付いています。

そんな作物に負けず劣らず雑草も
刈っても刈っても刈っても刈っても。


生命がたぎっています。



そのエネルギーのかけらを今日も

いただきます。
# by aji-kyuu | 2009-07-11 23:22 | 食べる | Comments(0)
ここ一週間くらいのうちに“数年ぶりの思い掛けない再会”と“起こるべくして起こった再会”とがあって
とにかくもう心が揺れた。

人と人の繋がりの不思議を思う。

出合い頭のようでいて、多分縁により結ばれている僕ら。



以前から一転、人と会わない生活となり
その一方、器を自ら手売りするようにもなり

出会いと繋がりの妙を余計意識するようになった。



僕にとっていつまで経っても困難で恐怖をともなうコミュニケーションの
脆く儚くも、確かなきらめき。

その小さな小さな光が少しずつ少しずつ、前方を照らしてくれるのだという実感。


沢山の光の束を掲げてゆくのは下手くそだけど、
一つまた一つをそうっと両の手に包んで、とつとつ歩けたらいいな。
# by aji-kyuu | 2009-07-05 23:36 | 考える | Comments(0)
僕を作ってきた作家たち・9
僕を作ってきた作家たち・9_b0156116_21452882.jpgやっと、部屋の床がべたつくような
梅雨らしい濃い湿気が室内にも充満するようになりました。

特に好きではないのだけれど、こうでなくちゃと。





僕が影響を受けてきた作家。
今回はこれまでとはちょこっと違う域での話。

現在の自分の基盤がいびつながらもできつつあった、
そんな頃。


とりたてて“師”を持ってこなかった僕にとって、あえてそう呼ぶとしたら
次の二人を迷わずあげたい。


中崎透(現代美術)
卯野和宏(絵画)


ともに大学の先輩。
とはいえ僕が入った時すでにどちらも院生。
歳だって相応に離れていた。

それでもひょんな縁で懇意にしてもらい、
飯に行くのはもちろん、炬燵囲んで鍋つついたり。
時には夜通しでプロジェクトを手伝ったり、
はたまた酒を挟んでの議論に付き合ってもらったり。


かたや、あらゆるメディアを横断的に使って社会に切り込む現代美術を。
かたや、ごくパーソナルな事柄を具象に託す丹念な油絵を。
傍目には対極にいるこの二人。

でも当時の僕にしてみれば、
形式との距離のおき方
そしてなにより、揺るぎない「作家」という姿勢において
二人は等しく仰ぎ見る“師”だった。


作るもののみならず、彼らの人となりにじかに関われたあの数年は
思い返すとそれはもう贅沢な時間だったと思う。


ともするといまだ
二人の間を振り子して、あるいは二人に引き裂かれるようにして
僕はあるのかもしれない。




そして嬉しいのは、
二人共にそれぞれの方向でたゆまず走り続けていて
変わらぬ背中を見せてくれていること。

透さんは遊戯室Nadegata Instant Party等々、場所を変え形を変え精力的に動き続けているし
卯野さんは明後日から渋谷東急百貨店で個展だそうで、その多忙がうかがえる。



あらためて、我が身の恵まれた出会いに感謝です。
# by aji-kyuu | 2009-06-30 23:13 | 作る | Comments(0)